重要なのはスピード
「次々と移り(変わり)ゆく勢い」
たぶん、この国の昔の人が言った言葉の気がします。
今もこの言葉が染みるのは今も昔も変わらない・・・底の部分は変化していないのです。
ネットも住みにくきなりました。
現実を生きるいわゆるリア充が、現実へのツールとして使うようになって、遊び心というか、専門性も深くは載らなくなってきました。
リア充のことですから現実主義です。
美味い店、どこが安い、どう行けばスムーズか?などの、昔のような専門性やヲタに付き合わず、即城ホを得られるのですから、この上ない。
物事には加速度が付くとより、分解速度が上がっていくというのを聞きました。
粗雑に言えば早く生きて早く死ぬみたいになるのでしょうが、より早く、より快適に、より便利に…というノリは20年くらい前に聞いたことがあるフレーズです。
「分かる」というのはある意味、分解速度の速さでもあります。
速くわかるのはいい、速くなるのはいい、というのはあの東京五輪や女子バレーのせっかちさを思い出します。
村上さんは「そりゃ、メディアなんかは小説なんかより素早い」と言いました。
しかし、ゆっくりやってきて、その後に残る何かに重要性があるのではないか?と示唆しています。
小説などは、日常の姿を離人するかのように観るものです。ですから、結果などは置いといてまず、味わう事が読み手に任されます。
新書はハウツーの面が大きいですから、かぜに葛根湯ではなく西洋薬をつかうようなものです。
ある意味、分解速度というのでさえ、それこそ200年前のものとタテマエは変わらないんじゃないか?という気もしますが、いまはやる事が複雑ですし、新幹線や飛行機どころではない、メールやSNSでやってしまいます。
ニヒリズムで言えば表面は変わっても心性や方向性は全く変わっていないのではないか?
人間、慣れの動物ですから。
新幹線や飛行機ができて、逸見さんは奴隷性が高まったと言いました(※)。
不都合はそれなりに主体を守っているという意見もありますから、何も遅いとか、鈍いというのが全くダメということは無いはずです。
(※)すぐ、大阪から帰ってきて、その足で新潟に行かされるたとえ。
また、すぐ反応するのは良いと言いますが、誰に良いのでしょう?
相手にとってであり、主体としてはどこか心身を削られるような感じもしない。
「相手に悪い」とも言いますが、それでは主従関係や支配関係が出現してしまいます。
相互のやり取りがあることで、やっと対等性が健全に働くのです。