子を持つということ
同僚には子がいらないと言う人がいます。
それはいいでしょう。プライバシーや個人の問題ですから。
パートナーが、子が好きではないからという場合、それもありなのかも知れません。
もし、居たら虐待して殺し、刑務所に行かなければならないでしょう。
未然に防ぐという点では堅実な判断をしています。
しかし、実感としてはおカネが無いとやっていけない。
シングルの辛さを見れば・・・特に次世代が「そういうものだ」と学べば、子を持つということが引けてくるかもしれません。
子を持つというのはRISCにつながる、と。
どうでしょう?
かなり昔の人から見たら利己的で勝手な考えかもしれません。
だけど、現実には…ある人にはあるし、ない人は持てない、どうも動かしがたい事実として、横たわっているではありませんか?
結婚ですら、ひとつの生存戦略として見ている場合ももあります。
生活コストが軽減されるから一緒になった、という。
これは、賢いやり方でしょう。
何かの型式にハマる事により、1人での負担を緩和させ、生きていく。型式に柔軟性を持たせ活用していると言えます。
子というのは、授かりものとか、選ぶものとか、色々ありますが、結局のところ、1人では難しいから家族や親族の関係になるわけですが、それ以外にインフラで頼るしかないでしょう。
それすらも、難しいから持てないと言うのがありますから、諦める道を撰ばざるを得ません。
関西で餓死させ問題になったケースがありましたが、状況の複雑さが招いたものと言えるでしょう。
福祉の使い方もそうですし、解離を起こし面倒見られなくなったのもそうです。
世の中では悪く見えるものが直接悪く言われますが、問題のどうこうより、事態のどうこうを先にした方がいいでしょう。
難問は分解せよと、デカルトも言っています。
事態をいじくった方が早いことがある。
いや、早いうえ、まだ改善余地がある。
問題を起こすというのは、それが積み重なって現れたのだ、とも言えるでしょう。
○○は××したんだから、○○に責任があるというのは鋭利な刃物で切るような残酷さがあります。
難癖や批判などはいくらでも湧きますし、できるのです。