アイデアを考えてみる
異端と言われるのが名人まで行かなくとも、まともということがあります。
たとえば、売れっ子生物学者のあの人も環境問題については変わった考え方をします。
炭酸ガスなどは地球の温度上昇に貢献しているなど独自の意見をいいます。
ダイオキシンなども、普段は基準値以下で体内でもそれは発生するから問題ないらしい。
かえって高い焼却施設は要らず、何なら色んなものを放り込んで分解できる高温の焼却施設の方が、分別の手間が省けるといいます。
何か不都合、不合理な事を課すというのも何だか権力臭いですが、生活の向上や便利さは時代に沿った物になるのが良さそうです。
ニヒリズムではありませんが、その時代時代により相応しい形態というのがあるのでしょう。
ウミガメの胃袋からビニールが出たとあれば、一気にビニールは無くなる。
あれも、いずれ分解されるようにすれば話は早いはずですが、逆にビニールが有料となり利権が絡む結果になるはずです。
なお、タヌキの糞からは昔、スポンジだの輪ゴムだのが入っていたというケースもあったようです。
異物を喰って排泄できる内臓も凄いですが、いまそれを問題にすればスポンジすらも規制の対象になりそうな風潮があります。
アイデアというのはどこか常識でないところがあります。
いままでの慣習から違った流れが生まれるのですから、まずは叩かれれたり、間違いだと叱責されるのがオチでしょう。
仕事などしていれば貢献度を測られますが、それは向こうの都合ではあるのですが、やることしかやらないというのもどこか窮屈なきもします。
まえに、管理職も要領みたいなことを書きました。
中井某は管理職は自他の都合を左右できるから、やりようによっては従業員より楽なところがあると言っていました。
それはそうでしょう。
何事も決める立場にいれば・・・あたかも親と子の関係のように、する側させる側に立場を作ることができます。
どういうことが起きようと要はやりようです。
SNSなどが出るようになり、次々頭のいい人を見かけるようになりました。
もちろん、単に勉強のことを指しているのではありません。
どちらかといえば、その新奇性と万人受けしそうな発想力にあります。
やってみることでアイデアは湧くのだという意見もありますが、どれだけの物事に触れて、アウトプットするだけの器があるか?でしょう。
私などは美術の点が良くなかったですから、観て楽しむ側です。
そういえば河合某もまた「観て楽しむ側」だったらしく、自分が椅子を描いても誰も買ってくれないだろうと、言っていました。
いまなら、買う人はいそうですが。