A女史本を読んだ
A女史の本を読み切った。
いろんな専門家との大和がなされ、困っている方々に勇気を与えると思う。
中には疑問に思う部分もあったけど、最後は本人次第ですから、いいのかな?と。
松本氏との対話のシーンはなるほどと思われることがあり「救いを求めない」というのも自虐である、というのは、そういえばそうだと、改めて気付いた。
しかし、世の中ビジネスですから、いかに他人を放っておかないか?というのも見逃せません。
最もなことをいい「○○のためだから」といい、自己利益に結びつける貧困ビジネスなども、語り口が上手です。
騙される方が悪い、と言いますが弱っている時は視野が狭くなるのですから、悪いだの言える立場は余裕があるのです。
私の喉に小骨が刺さっているかのように気になっているのは、躾の線引きが難しい部分です。
残念ながら、過去に学校に行かなかったという輩に良い者もいれば、ロクでもない者にも会って来ました。
(´・ω・`)「ホント、この人困ってたのかしら?」
と、思うくらい意地悪く支配的な面があり、サッサとその場を離れましたが。
人は変わるようです。
いや、変わらないといけないのかもしれません。
その場に適した振る舞いをするようになり…あるいは、許されるようになると、傍から見ると見苦しくなる場合もあるようです。
ま、そこも勉強と思って考えていけばいいのでしょうが。
ルイ○○世の対話もありました。
事件がなければそのままエリート街道まっしぐらだたたと語っていました。
たぶん、そうでしょう。
生きていれば何があるか分かりません。ひとつの何かが生き方を大きく変え、そうしたかったのか?そうでないところに連れて行ってしまうのです。
安田安保の騒ぎの時、散々騒いだ輩はその後でキレイな身なりになり、エリート街道に向かって就職していたと言われます。
最近でいえばSEA○○sなども積極的にデモを行い、そのが知れていませんが、良い所に就いたのでしょう。
とある研究者からすれば「元があれは健全だ」といいます。
たぶん、本当に困っていたら声も出ないのかもしれません。子供は経験や発育がまだだから心身症を良く発すると言いますが老若男女、誰しも自ら分からない辛さが噴出することはある気がします。
原因不明の辛さが出ることがある。
トラブルというのは巻き込む事があれば、巻き込まれることもあります。
体内で発生する病気ですらそうなんですから、生きていればどんなハプニングに巻き込まれるか分かりません。
売れっ子武術家はアンテナを磨いておく…感性を鋭敏にしておくと言われますが、その通りでしょう。