赦したまへ祓いたまへ
よく・・・
好き→2
そうでもない→6
嫌い→2
ということが言われます。
全体に好かれよう何てのは虫がいい話です。
嫌いが影響して、中庸としての「6」が嫌いに回らなければいい話ですから、そこは付かず離れずをしておけば良いのしょう。
もちろん、「6」からも煙たがられるようになり、居られなくなったら、逃げるが勝ちです。
水島さんは「ゆるし」と言いますが、まずは先方を許せない自分をゆるしなさい、と言います。
元は毒親に向けてのアイデアなのでしょうが、成人してから青年だって傷つきますから、応用は効くと思います。
いい歳をしてとか、いつまでもそうしてたら相手だって可哀想だし体力だって消耗するでしょうなど、言われるかもしれませんが、個人の事情ですし言う人が何かくれるわけでもないから、スルーしましょう。
現場の論理というのは仕事の論理であり、個人的な事情は排除されますから、論理的思考ができるとか、仕事の内容を盾に話ができるというのは、強くなります。
しかし、仕事の論理を出すにしてもそれを盾にして、言いたいことをいうのですから、どうしても勝ち負けの場になってしまいます。
いかに盾を使った防御から攻撃に移れるか?が勝負の分かれ目になるようです。
上記の論理的な場では個人的な事情は排除されますから、体調やジェンダーな立場は声を上げていなければ、いつでも潰される立場にあるようです。
放っておけば強い者が這い出すのが自然の流れなら、やはり手入れは必要でしょう。
それを管理職がやるにせよ、リーダーがやるにせよ、危うい立場ができてしまうというのは、どこか意識しなければマズイ気がします。
古代の宮勤めではありませんが、ドロドロした人間関係が克服されずに今も生きているとしたら、それこそ行き過ぎた利害関係や損得勘定、非人間的なシステムが隙を突いて現れるかもしれません。