Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

大人になるとは?

「大人」とは何でしょう?

義務や役割を果たせば大人扱いになるのでしょうか?

人間関係が円滑で期待通りにできて、自分の身の丈に合った生活ができる、タスクをサラッとこなす・・・。

 

まぁ、仕事の話みたいになりました。

考えてみれば、一日仕事に行っている時間の方が長いのですから、家よりも、プライベートよりも、シュミレーションよりも充てている時間は長いです。

 

しかし、あらゆるタスクをこなすのはまるで超人のようでもあります。

超人が大人なのでしょうか?

私などとても間に合いそうにありません。

仕事はできて人間関係はできて、プライベートも楽しめてなどしていたら、いつかガタがきそうです。

 

松下氏は働かない従業員さえ、養っていることを言っていました。

今とは大違いです。

超大物芸人(?)が働かないヤツから、自分や仲間を守る、ということを言っていましたが、一体どうなっているのでしょう?

働くという、個人に科せられるタスクというのが相対的に限りがあるのか?あればどうなのか?ないならどうなのか?まで突っ込んでいないのが残念です。

 

松下氏はたぶん、それも込みで言っていたのか?と思います。

抱え込むというか、包容力があったと思います。

組織という形式を持って個人を守る、複雑な世のシステムまで透視していてこそ、そこから外れればどうなるか?がわかっていたのではないか。

恐らく、戦中後の感覚的な判断ではないか?と私は思うのです。

最近は松下システムも不都合が来ていると聞きますから全てがいいと言いきれませんが。

 

思うのですが、カッコイイことはいくらでも・・・それこそ、その気になれば老若男女誰でも言えたりやれるのです。

しかし、いざ実行してみるといかに言葉が薄いもので役に立たないか?行いが無力か?が分かるものです。

まぁ、実際上手くいかないからこそ、言いっ放しで止めておくのが多いのでしょうけど。

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仕事などは子供でもできます。東南アジアを見れば分かるように(子供に働かしてはいけないと言われますが昔はあたり前でした)、大人顔負けでテキパキこなします。

また、言葉が悪いですが「児童婚」なども、とある国ではありました。

この国でも14-5で嫁いだという話が100年も前にありました。

 

大人役、子供役、姉役、弟役などペルソナではありませんが、世の中からの役割(≒制度)として、求められているのではないか?

心理学の先生などは「大人(20~)でも甘えたいのです」と言います。

 

昔の子は大人(=成熟)だったと言われます。

子供では許されない状況がそうしたのでしょう。

どういう感覚か?

それは、ある種の外的な切迫感かもしれない。

よくいう子供の無邪気さ、自由さ、モラトリアム(?)などは個人の内的な充実をさせるかもしれませんが、逆に外的には無防備になる面があります。

 

いまほ、大人と子供の境界が難しいと思います。

漫画やアニメは子供の特権のような時代がありましたが、それも無しです。

アダルトに関してもネットを開けば子供でさえ、選択を迫られる機会があるのではないか?

 

逆に賢く振舞ったり、(仕事や家事が)器用にやったり、言葉巧みだったり、口喧嘩が強かったりすれば、1目置かれる現実があります。

世の中への通用価値があるというのが、大人と見なされているのかもしれません。

「一芸に秀でた」というのは、40年前には生きた価値観でした。

だいぶ、見方が単調になったと感じます。