経験こそ真実?
推測やイメージというのは時に嘘臭くなります。
世の中のシステムや決まりが、掴みどころが無くても制度として働かせるのはないよりあった方がいい。
こうかもしれない、ああかもしれないと言わず、まず手を動かせというのは正解でしょう。
しかし、正解というのは役に立たない立たないこともある。
それで上手くいかない時、執拗にこれまでのやり方を固執するのは、ひと工夫、ふた工夫要ることがあります。
固執する場合、それは頑固か?といえば、それ以外を知らない、あるいはその固執が正解でありそれ以外を許さない状態であります。
まぁ、早い話視野が狭く、器が小さいと言えるのでしょうが私も人のことは言えません。
というのは、なぜ?ここまで頭が良くないのか?と思うことが多々あるからです。
これは、恐らく頭では上手くいかない自体なのかも知れませんが、単に頭や要領の悪さだけでない事は確かです。
もちろん、ご老人のような経験はありませんし、知見もない。
ある種の好奇心の発露や勇気、冒険心は創造性に繋がるのではないか?と思うのです。
なかなか、世の中では失敗を許さない雰囲気があります。
ヒマや失敗するなら生産性を上げろ!な話ですから、正解というのは少ないです。
「コレ」しかしなくて済むのですから、失敗や奇特さ、新奇さを許さなくなるのは当然でしょう。
しかし、重要事態をさせるというなら、もっとプロを出せばいい話です。
現代、初歩的な失敗、凡ミスするな云々…言いますが、実はやっている事はかなり複雑で高度なことをしている気がします。
学生のころ、
(´∀`)「アイツはコンビニすらできない」
など、言われましたが、タバコの銘柄ですらコロコロ変わるのですし、お菓子ですら定番以外はメーカーは手を替え品を替えで新たな商品を出してくるのです。
(ああ…売り子というのは頭の切り替えができないと上手くいかないのだろう)
ミスというのはありうる話です。
中高年となった私ですら今も散々、若手の上級社員に喚き散らされますから、もう少しいけば老害確定でしょう。
失敗が叩かれたり、ミスは許されないという高度な世の中になったのは間違いない。