Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

大人になるとは?②

社会に出てみると分かりますが、倫理だけではやっていかれないところがある。

 

私のように奔放なのがいると思えば、神経質で小心だったり、悪事こそ人生だったり、快楽をひたすら追求したりするのがいます。

 

要は妥協点を見つけられればいいのですが、なかなかそうはいかないのが娑婆のようです。

扱いにくいというのはどこにでもいます。アレが上司や教師なら胃に穴が空くんじゃないか?と思える、とんでもないのがいます。

 

幸い私の様な者が教師にならないで良かったのですが、教師なら逃げ道がなくなる。

モンペアどころか、あって当たり前を求める風潮(≒新自由主義)がありますし、足りないところはホントに足りないという所もありますから、現場の混乱さは並大抵ではないと容易に想像できます。

 

仲介役もセンスがないなら苦痛になりますから、管理職や保護者、子供、教材などから板挟みに合いよくやっていられると思います。

 

こんなですから、果たして現行の教育じたいに過度な期待はできるでしょうか?

むしろ、世の中からの要請で学校があるようなものですから、学校から出たあとの方がよりパターンも濃淡も善悪のスケールも含めた出会いが待っていると伝えた方が無難でしょう。

 

昔は乱暴だったり、変質的な素質があったりして、どうしても堅気の世界に行けないなら、モノノフの道を教師が紹介したということがあったようです。

むしろ、間口は広い方が生きやすいでしょう。ヒルに住んだり夜に居たりして、住み良い場所を見つければいいのです。

 

健全でないかもしれませんが、堅気の世界に苦しめて行かせるより、ちょっと、はぐれた世界で安住できる方が幸せなら、まだその方がよろしい。

 

河合さんはサラリーマンは才能である、と言いました。定時に行って、残業も文句言わずやって、家庭を疑問なく持ち、チョット悪いことして、ある程度そのやり方が「並」だと思える才能。

そこから、はぐれた人を相手に話をして生きる道を探しいったのですから人間、生きるのは並だけではないのだと思います。