意外と世には「か弱子ちゃん」がいる
HSPなどは、もう20年以上前に出ていた用語です。
繊細さが人より優っており感じやすいという体質らしいです。
ある種の不安障害(=旧神経症)の様にも見えなくありませんが、主訴だけを目にすればいかに彼らが困っているか?が注目されます。
一方、発達障害も当たり前のように受け入れられた感はありますが、職場でそれをカミングアウトするのは、勇気のいることでしょう。
そう考えると、自ら腑に落ちるための、ソフトな言葉がHSPとも思われなくありません。
まぁ、発達障害はバブルを超えた感じではありますが、HSPもどうも流行りの下火になっていなくもありません。
粗雑に言えば「弱さ」も武器ですから、過酷な状況にて逃げたり、それは感じやすく出来ないと言える理由にも無くないでしょう。
あくまでも可能性です。
自らに敏感で他には鈍感というのはどうでしょう?
全八語録のアレではありませんが、この国ではワガママと見られてもおかしくありません。
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しかし、HSPという状態自体、高級品なのでしょうか?
私は以前、上級国民についてツラツラ書きましたが、結局はアレに入る事柄なのか?
上級者は実は弱い、と。
そういえば、前トップがステイホームでダックスフンドと戯れる動画が炎上に遭いました。
よく考えてみれば、一般と同じことをしているのですから、誰がやってもトップは同じというメッセージにも見えます。
実にいやらしい。
頭さえ揃えば、誰だっていいというのは、生きる上で、常識なフシがあります。
これめ、実は良くなくて「持ち味」を殺している部分が大きいです。
学校が能力(生産力)別にふるい分けるシステムだと昔からいわれました。
個性も何もないでしょう。
また、有識者・・・世にいう有名学者ですら、個性不要論を唱えますから注意が必要です。
やはり、合う・合わないはあるようです。
やっていて腐っていく内容なら向いていないどころか合わないのでしょう。
仕事とは呼ばれることだ、と某氏は言いますが、ブラックな所有無を言わずに人材確保ですから、少し「呼ばれる」と言い切るのはキツい。
なにもHSP持ち出すまでもなに素であればラクなんでしょうが、役割期待や場合によっては危険なシーンもあるでしょうから、カメレオンのように賢く生きるのが娑婆というものです。