昔語りと今語り
体中が筋肉痛です。
年甲斐もなく無茶をするからいけません。
歳追うごとに、よりラクに、より賢く知恵を働かせるのがいいのでしょうが、私も学習しません。
まだまだなのでしょう。
しかし、思うのですが成長や性格が丸くなるというのは、どういうことでしょう?
そのむかし、上の学校(大学)にいった知人は学校の教官について、アレは人としてなってない!と愚痴ったことがありました。
その場限りのストレスの発散だったのでしょう。
考えてみれば、そのような事情はどこも似たようなことかも知れません。
知人の言った単語を拾ってみますと、横暴、権力的、勝手、無関心など、出るわ出るわ鬱憤が。
なぜ、人間こんな感じになってしまうのか?
幼少期や生来に問題があったという意見もありますし、遺伝だという意見もあります。
私などはどれもありだと思うのですが、その場の状況が人格や性質を変えるというのはあると思います。
爬虫類がその場の緑に体の色を合わせるように、そうしなければ、やっていられないことがある気がします。
むしろ、幼少期のまともでない環境というのは、そうせざるを得なかったからそうしているのかもしれません。
途上国の子どもが、かっぱらいをやって生きていくのと似たようなもので、あとで状況が良くなれば改善する可能性はなくはないでしょう。
改善すれば、もう粗相をする必要がないのですから。
ということはアレで、状況が悪ければ大人だってよからぬことへ走るのもありうるし、堅気から抜けてしまうというのも充分あります。
まぁ、最近はマイルドヤンキーは素質面の地金が現れた!という意見はありますが。
もちろん、素質や遺伝というのは関係なくないと、私は思っています。
むしろ、複合的に考えていけばよろしい。
素質や性質がどうも乱暴なら、いまはとりあえずそれにあったことをさせればいい。
発散系の心身の持ち主かもしれない。
「見栄を張る」ではありませんが男性の場合、仕事でのそれが出ることが少なくないかもしれません。
もちろん、家庭などあってもなくても、見栄っ張りや権力志向なところは・・・どうもそうしなければ、相手に付け上がられるというモノの抑止力として、働いているように私は見えます。
ここらへんに、虐めやハラスメントの根がありそうです。