処世術は使い方次第②(背景編)
謝って済むなら警察は要らない。
中学生の不良のような言葉です。
いま不良の消滅を喜んだ人が居るようですが、そうでもないでしょう。
不良という種子は地下に潜り、どこで発芽しようか?機会を待っています。
よく「できごころ」と言いますが、魔が差すのでしょう。その瞬間は何人にも起こり得ると見た方が良さそうです。
何にも不良…いや、暴力性は誰にでもあります。
心理学者で子供の反抗期は必要だという意見があります。
これは、世に出てから理不尽から反発するための優れたツールになるのですから、ムリに押さえ込んだり、大人しい人に作り上げるのは、どこか養育者に罪作りな所があります。
まえに、書きましたが、ちゃんと使えば薬になりますが健常者が使えば麻薬になることは、見渡せばいくらでもあります。
現物だけではありません。
(人間)関係性においても然りです。
世の中、自由になったと言います。
ネットで何でも試せる時代ですからBUMPがどこにあるか分からない時代だとも言えそうです。
過去、なだいなだはアルコール症は時代に適応できないため仕方なくなってしまった状態だ(意訳)と言いました。
もちろん、アルコール症にならなければいいのですが、新しい時代に生きるための勇気や飛び込む度胸はあるか?ないか?で人間違ってくるところがあります。
若い人の粗相を許す、許さないというのは、古くなったり、なりつつある価値観から計られる尺度かもしれません。
新人類がこれからをいきるための実験であるとも見えるでしょう。
しかし、酷な話「アルコール症になりたくなければ、旧時代に戻れ!」というのも余りにも残酷なように聞こえます。
まぁ、戻って生きる道ができて安定するなら、それはありなのでしょう。
なかには、占いじみた精神科医もいたようです。
器量がいいから嫁に入れろ
生活力がないから生保で
堅気じゃ窮屈だからその道へ
私はありだと思います。
苦しんで現世に合わせるより、言われてその道に行き幸せになった方がいいはずです。
どこか、カチッと来るものがなければ、何時までも苦しいのですから、的確に言える人があっても、それは救世でありますし、人の才能を見分ける才能でもあります。
「子供(意識)が多くなった」と嘆かれるご時世です。
それは一種の流行りなところもありますし、それで済んでしまうのだからやるのでしょう。
襟を正したり、正されたりしない、よく分からない時代に感じますが。