ホンネが良い?
店で流れる「うっせー」のBGM.
尾崎の時代と違って、リピートでしかも執拗に流されるから、当たり前度がドンドン上がってゆく。
時代の流れるなのでしょう。
尾崎の頃ですらある意味、本人がめちゃくちゃでした。
しかし、バイクを盗むとか、校内のガラスを割るとか、今思えば何に対してムズムズしていたのだろう?と思えなくない。
青年期は荒れるとか、荒れないとか、3無主義(※)とか言われますが、時代を反映しているのが若者ともいえるでしょう。
要はその環境に適していく。
(※)無感動、無関心、あとなんだっけ?
尾崎などは、今の人から見れば何を贅沢してるんだ?という意見もあるようです。
不況ですし、斜陽ですし、不自由ですし、出来ることが限られた中では、贅沢に見えるのでしょう。
辺見氏からの流れなのでしょう。
安易に便利に…あるいは、整ったなかに安楽するな!ということです。
安楽にしていても、実は安楽を選ばされていることが、自動的にあるからです。
一見、監視カメラがあれば不安が取り除かれそうですが、何のことはない。
その分のしわ寄せが何処かに流れていくだけです。
まさに水の如しです。
住みよくなったでしょうか?
お子さんがいる場合は、そう思うかもしれません。
しかし、まえに書いたように規制され、整いすぎた「観賞用公園」は今を生きる人の創りものにすぎません。
次を生きるなら、次の創造力が必要になります。
(´・ω・`)「毎回、根拠がないなぁ…」
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さて、冒頭の歌ですが時代は露骨になりました。
鬼減の刃ですら「遊郭編」などという題を出してくるのですから、子供ですら次の時代、オチオチしていられないという予感があります。
はよ、大人になれ!と。
干尋の神隠しは、湯屋サービスが水商売のようだと揶揄されるようですが、あくまでも表に出していません。
イメージは観る者に託されています。
そこは監督が子供も見るだろうという、古い時代(?)の気使いが感じられます。
今の時代にいいのか?悪いのか?
まぁ、そこは大人と子供が隔てられているという考えがあるのでしょう。
「遊郭編」は観るでしょう。
客層問わず。
ある人が遊郭で問題と化したため主人公が乗り込んで行くという、予告編が入っていましたが、まぁ、遊郭編。そのまんま。
しかし、冒頭の歌に付いていく子が居るのかしら?
流行り歌、売るための歌になっていないだろうか?
些細な反抗心がPにスカウトされたのかもしれませんが。
M氏と対談した人はJPOPはダメと言ったようです。KPOPが先に行くのですから。
基準は何なんでしょう?
売れるため?
みんなのため?
何のための音楽の授業だったのでしょう。
学校は皆一斉にで音楽をさせます。
遅咲きの子は間違いなく才能など、自らの内に化石化させて忘れ去るのでしょう。
学習にも格差があるようですが、もう力仕事を合理化して、AIに任せて人間らしい個々の能力で生きなければ、面白くありません。
まぁ、好きな分野で落ちこぼれでやっていくのも通な方もいるようですが、面白いでしょうかね?
やはり音感や感性というのは、修行や手入れが必要な気がします。
物事のにのめり込むなら、それ作らせて見ればいい気もしますが。
一定期間、熟成させないといけなさそうです。
もし、それもダメなら次の手を考えないといけませんが、残念ながらそこは余裕がものを言うのかもしれません(´・_・`)