処世としての○○ダイアローグ?
対話が大事と聞きます。
むかしは共感でした。
もっと前は指導や矯正(調教)というのがあったそうです。
いまは、一歩進んで○○ダイアローグが大事と聞きます。
判断せずに意見をいい続けること。
もう少し詳しく読まなければ分かりませんが、手間と暇がかかるような内容なので、果たしてヌポンで可能なのでしょうか。
指導→→受容→共感→対話にはどうも流れがあるようです。
時代時代の思潮というか、流行りというか、その時代にあったスタイルがあるのでしょう。
指導だけでは反発を喰らいます。
それまで、上手くいっていた指導という方法は廃れようとした瞬間でした。
受容や共感もダメです。
DVダンナに愛を持って共感などしていたら、いつか殺られます。
暴力を出すというのは甘えです。
甘えだしたらとことん甘え出すという・・・それはダメ!子供の頃克復する課題をしてこなかったのでしょう。
対話も怪しいです。
いま、大手を振っているのが、誘導して自己利益に結びつけようとするやりかたです。
対話は流れです。しかし、強弱があるため常に強い方から弱い方に流れるでしょう。
特定の人が弱いとは限りません。
弱くなったり、相手の言葉を受け入れすぎて弱るということもありえます。
まぁ、心理学自体が良い悪いに使えてしまうので、術者しだいになります。
キュアの場合、○○ダイアローグを聞きます。
応用例はこれからでしょうか?
問題はその準備が大変なこと。
玄人素人の雁首揃えて患者に向かう余裕が果たしてあるか?
あるいは、世の中で応用例が効くか?
私などはキュアの次の日段階として…生活していくうえで刃(やいば)の方が要る気もします。
何も刃は切るためではありません。
西洋剣、サーベルなどが脆いのは盾があったからでしょう。
受けて切る、あるいは突き刺す。
しかし、戦わずして済むなら刃はそれで十分仕事をしたのです。
世に出れば、むしろ受けたり、躱したり・・・逆に血を見ることなど皆無でしょう。自殺率は今も高いですが追い詰められたのでしょう。
逃げるが勝ちを選ぶべしです。
外人実習への虐待が問題になりますが、追い詰めていたぶるの姿は嘆かわしくて胸が詰まります。
いたぶるのも結局は人のようです。
お猿さんではありません。