民は待ち焦がれている(COVID19編)
K通信の「気の緩みで1,000超え」の記事。
題名が良くない。
紛らわしく、内容を見ない(見る暇がない)のを対象にタイピングしたんじゃないか?と邪推してしまいます。
情報は溢れかえっています。
いつでもニュースに辿り着けるし、日々刻々と新たな情報が発信されており見る時間がありません。
定まりがないのです。
むかし、村上さんが新聞は4ページほどでいいんじゃないか?と言っていましたが、私も同感です。
記事を熟させる時間もいまは取れないだろうに、と逆に心配になってきます。
ニュースは鮮度が命と言われますが、肉の熟成のように短時間はありなのではあるまいか?
世の中、COVID19の解除を心待ちにしているようです。経済が再開したらまず、お祭り騒ぎになるのは間違いないでしょう。
自由が1番!なようです。
自由というよりも、ただやりたいことやってるだけに思うのは、私の魂に曇りがあるからでしょうけど。
いや、自粛により生活苦を被った場合は別口です。
しかし、記事批判に気の緩みというのは精神論だ!というのが見られます。
まぁ、そうでしょう。
そういう書き方をすればそう読まれて仕方がない。
あたかも、いま我慢がはち切れそうな状態というのが当たり前な書き方ですから、ホントに我慢してるか?してないか?分からないのを「緩み」とくる訳ですから、どこか、意識誘導の気(け)があるようにもみえます。
ただ、収束は自然なのか?努力なのか?本質、分かりませんが、精神論だ!と批判する場合はよほど余裕のある意見にもみえます。
余裕が無ければ批判するヒマも無いでしょうし。
粗雑に言えばCOVIDは山火事が自然鎮火するようなものに見えなくありません。
落ち着くところに落ち着くというか。
まぁ、それでも分かりません、本質はどうなのか?
予防措置や防御が役立つことがありますが、相関関係アリな気がします。
自然鎮火と予防の関係。
気の緩みは第n波として数えられるでしょう。
大波までいかなくてもさざ波くらいは…
事後研究として、サンプル採取により免疫抗体がすでにあるとかないとか?いつそれができたか?なども、研究対象ではないでしょうか?
まぁ、専門家の方はもっと頭の良いやり方をするはずです。
最もらしい記事にまともな題名を付ければいいのです。
しかし、どれもこれも最もらしくて、どれを読みどれを信じるか?は読者自身になるのですが。
言葉が多すぎです。