リモートについて考えてみた
リモートはどのくらいあったのでしょう?
私などは現場に出ないとお賃金が貰えない立場なので、あまり関係ないと言えば、それまでですが「経済なんてしてないで自粛して菌撒き散らすなよ!」などとツッコミどころ満載な生活者でもあります。
気まぐれな自宅待機は他の人と、かわりばんこに施行!という…結局は現場に出ないとお賃金にならないという、世に言う弱者顔負けな雑巾のような立場でもありました。
果たしてCOVID19を怨むべきか?
社会システムを恨むべきか?
「みんなのために!」を連発してはいけません。
誰かにしわ寄せが行くのですから。
それに、みんなで苦しむ必要無いはずです。代わりになる有効なシステムが無くて頭悪く、その場が回っているのです。
知恵がなければなりません。
知恵を抑えて我慢させるのは体育会系で、苦しみの後の爽やかさの報酬はエンドルフィンだけです。
どんな理不尽でも笑顔でスルーするのが、社会人やビジネスマンモラルとして、還元されそうですが、何のことはない、しわ寄せが行ったというハラスメントの亜種でありました。
「ここは○○の顔を立てて…」式の応用編でしょう。上手く悪いものを下に流すか?という図式が世の中にはちゃんとあるのです。
これが、娑婆ですが堅気のやることでしょうか?
さて、リモートですがこういう言葉を聞きました。
「精神・神経科の患者は仕事をやめれば一発で治る」
神経科の患者が弱いというのではないです。
敏感で、ただアラームを発しただけでしょう。
よくよく見れば、職場などは「蠱毒」のような呪いツボのようにも見えます。
要は最後は強いものだけ残るという図式です。残った強いものも他所のツボにやられて、そこで頑張るのでしょうがキリがありません。
リモートでラクになったという話も聞きます。
時間に縛られず、嫌なヤツに合わず、自身の体調に合わせて仕事ができると。
リモートの普及率が悪かったともあります。
主に上司だけとか、期間が短いとか、提出書は出社とか、これが進化すればよりスムーズになるでしょう。
しかし、次第にCOVID19も下火になりつつあります。
それに合わせて出社再開に繋がるでしょう。
程よいストレスは良いと言われますが、四六時中、嫌なヤツと顔を合わせていたり、拘束時間があったりとストレスフルな状況は、心身に悪いと思います。
まぁ、タフで蠱毒ツボで生き残ったり、出社するのが楽しみというのも居るようですから、何とも言えませんが。
なぜ、これほどまで出社が当たり前なのか?
「働かざる者食うべからず」が定式な世の中です。狡いという感情はどこかセコさを感じますが、働かないのはイコール狡いと簡単に結び付けられてしまうようです。
ゆえに、出社しないとは狡い・・・狡を生むから良くないに繋がるでしょう。
あまりにも酷な話じゃありませんか?
過程はどうでも、やることやればOKにできないものか?
一日にできることなんか決まっています。脳は1つですし人間、千手観音ではありません。
期待(利益)に応えなければならないという、強迫的な考えはどこか硬直し、いつかは機能ダウンするでしょう。
むしろ、もっと発想豊かな有能な人の出現に期待したいものです。
村上さんも「システムの硬直化」とも言っています。
そうなると過去の前例にしがみつき、神経症のように自他を縛ります。
リモートで少しは仕事のスタイルが広がったんじゃないでしょうか?
こういうとき、こんなのがあればいいね!
ああいう時は、こうするといいね!
みたいなのがあれば、肩肘張らずにいけると思うのですが。