Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

大人子供&子供大人

しかし、近所も治安が悪くなりました。

ケンカでひっくり返えったの居たかと思えば、ガラの悪い若い子が町をうろつく姿を良きみかけるようになりました。

 

COVID19の自粛の影響でしょうか?

たぶん、それもあります。生きていれば、これくらい許されるだろう!という程度を越せばいくらでも好きにできます。

事態によっては危険を冒したり、痛い目にあったりして、傍からも見苦しいものですが、やらなきゃ分からないという新発見も見つかるので難しところです。

 

欧米人の自由とヌポンの自由は違うように思います。

いまは、昔と時代が違いますから彼(か)の地でも、事情が違うでしょう。

彼の地ではゴッド、ヌポンでは世間教と聞いたことがあります。

要は、最後は誰が面倒見てくれるんじゃ?な話です。

あくまで、印象論です。世界は広いでしょうから例外はいくらでもあるでしょう。

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大人と子供の境が分からなく感じます。

本などは漫画は子供、本は大人という区切りがありましたが、いまはフリーです。

舞台や演劇などは大人、アニメは子供という線引きも消滅して久しいです。

まぁ、何事も個人に任される時代になったのでしょうが。

 

一体、何をもって大人なのでしょう?

いや、大人というものがあるのか?

子供とはなんなのか?

考えれば分からなくなっていきます。

 

子供はダダを捏ねて甘えるだけの存在で、大人は言葉を持って事態を解消していく存在・・・

しかし、大の大人でもキレイな言葉を使って上手くダダを捏ねるのもいますし、ませた子供が実にしっかりしたことをすると感じることもあります。

 

河合氏などは誰にでも老若男女は内在すると言いますが、その通りでしょう。

その時のTPOにより上手く使い分けて生活するのです。

 

私などは、要は損得な問題ではないか?と思います。

傍から見たら如何に見苦しくてめ、本人が良いとすれば、いくらでも若い面を出したり、老人の面を出します。

 

過剰な期待感や甘え、被害者意識が時に煙たがられるのは・・・特によく事情が分からない時など、アイツはケシカラン!となりやすい。

だって諸事情を知らないんだから感情に訴えるのは仕方ないことです。

まぁ、相手の個人史に付き合う、お人好しもいませんがね。

 

ヒステリーや退行の際、見苦しくなるのは、一時それを持って患者が対処していることがある。

これを疾病利得といいますが、あるよりないほうがいいに越したことはありません。

極端な場合、暴力を振るうのも自己治療だと言うのもいますが、それは下の下でしょう。

 

ところで、遊ぶ場が健全になりました。

公園などでは球技禁止、危ない遊び禁止、汚くするのは禁止で実にお行儀がいい。

COVID19のせいもあるでしょうが、ベンチ以外に座ってはいけないとか、警備員を配置しているとか、ロープを貼り座るなくしているケースも見られます。

 

私はこれを「観賞用公園」と揶揄しているのですが、高級庭園ではなく公共の、アベレージな場所なのだから、多少の汚れくらいはいいんじゃないの?と思わなくはないです。

税を払い不自由にされるとは如何なものでしょうか?

 

大抵、何かあれば「危険だから」とはじかれます。

しかし、擦り傷せずにサッカーなどできるでしょうか?他者に危険だからと言っても、危険にならないように工夫する子を減らすだけでしょう。

ゆえに、物事の加減を学ば(べ)なくなる。