別姓を名乗ることは
別姓問題が流れてきました。
どれも、心理的なものを多く見られます。
私個人的には、どちらでも有りだと思いますが、生きにくいなら改善されるべしでしょう。
心理的といいました。
それも一体感、絆、文化、習わしなど、言葉にできるけど、手につかめないような物ばかりです。
しかし、同性を名乗ることで事務手続きがスムーズななるのもあったことでしょう。
ああ、あの人たちね!くらい顔パスみたいな感じで。
制度上有利になるなら、流れとしてそうなるのは分かります。
分からないでいる方が生きやすいのですから、受け身なやりかたでしょう。
まぁ、仕方なくそうしている人もいるかもしれませんが、不自由を感じていたら気の毒です。
仕事などしていれば、慣性の事務手続きをしなければ、嫌がられるように流されるしかない場合も無くはないでしょう。
さて、崇高な「一体感」や「絆」ですが、人によっては快感らしいです。
どこかで全体性は個人を無くす代わりに安心や安全を担保にする口約束のようなことを書きました。
よく分からないものをあたかもあるように扱い、縋るのが共同幻想のようなものと言っていいかもしれません。
逆に言えばそれくらいい加減なものは無いともいえますが。
アツアツのカップルが居れば同性でありたいね!とか、一体感を高めるために同性はありだと認識するかもしれません。
しかし、生体ホルモン熱が冷めれば、後々、相手の嫌なところが次々見えてくるのが正直なところてしょう(経験済み)。
幸せというのは永続しません。
自身や他者の家庭を見ても、何とか幸せを繕っているか、安心感の担保としての家族へ「幸せ」自体が目減りしていきます。
さて、一体感ですが私もあまり良くは思いません。
ビタビタした感じにアレルギーを起こすので過度なウェットは逃げ出したくなります。
人間として冷たいのでしょうか?
たぶん、そうでしょう。
しかし、だからといって今すぐ殺していい理由にはなりません。
残念ながらそういう人もいるのです。
ヽ(`Д´)ノ「矯正しろー!」
と、いうのもあんまりです。
中高年になりました。今から歪みを正すのはエラい時間がかかるし、誰がその分のマネーを折半してくれるでしょうか?
要は落とし所を見つけろ、な話になります。
多様性としての別姓はありです。
不自由なら創っていけばいいのです。
行先のBUMPを取り除きながら良い道を探りつつ…