Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

ルールや掟について

くどいですがA女史の本からの連想を書きます。

 

A女史の本には気になる点があった。

貧困が主力で調べる人だから、貧困について絡めて書くだろうとおもったけど、やはり、子供の間でもタブレを使うとか使わない…仕えない環境があるようだ。

 

私塾が食事の世話をしているというけど、インフラやセーフティネットですら、ああやふやな状態であるし、最近でも子ども食堂ですら、変な話を聞く。

自然野菜がいいとか、メシをタダで喰えるから食って来なさいとミドルやアッパー層が使うとあったり。

 

何が可愛いって我が身や我が子が可愛いんだから、他所の何かを存分に使うというのがあるのだろう。

まぁ、その手のインチキは探せば無数にあるのだろうけど。

 

さて、ルールというのも難しい話です。

A女史の本には訳の分からないルールを撤廃したり、登校時自由な学校が出てきますが、どうなんでしょう?

確かに自分で決めたり、自主性を高めたりするのは間違いないでしょう。自分が動かなければ何も無いのですから。

 

私などはルールどころか、有無を言わさずやる事が当たり前な時代でしたから、教官などは半分以上神さまのような存在でもありました。

言わなきゃ張り倒す。

いや、地獄の王様かもしれません。

たぶん、いまごろは特養などで「俺(私)は何人子供を張り倒してきた!」と武勇伝を語っているかもしれません。

 

しかし、話の腰を折るようですが、家庭を作れるというのもまた普通なのでしょうか?

私の目からは高級品のようにも見えなくないです。

少子化もありますし、よく分からない仕事を作る時代ですから、手をかけられる時代にもなりました。

 

ルールを撤廃したという話から思うのですが、よく分からないルールというのは世の中の方が多そうです。

いや、ルールや条例までいかなくても、禁止事項として町やお店が出してくることもあるでしょう。

COVIDのおかげで、禁止事項の発生…その傾向に拍車もかかりそうですが、それは監視カメラが増えた頃から始まっていたようです。

 

Mさんなどは拒否権があるのに手荷物検査をされたと言いましたが、危害のある恐れのある(=正しさ)可能性への防衛は正当となされる価値観が、過剰になっているのは間違いありません。

 

いまは、頭でっかちが多いのかもしれません。

あるいは、ルールに乗っておれば、延々と安心できるという感覚が何処かあるようです。

ルールは思考放棄しますし、従者を大量発生させます。何故と問えばルールだからと言い追っ払えますし、ルールを上手く使えば万能感を持ったかのように快感があるのでしょう。

 

ルールは一発決めのところがあり、スッキリしてはいますが、他人頼りなところがあります。

ルール撤廃し議論を多くしたという学校というのは、その分思考の自由ができたのではあるまいか?