一番上手くいく時とは
師匠もだいぶ波に乗ってきたようだ。
それでも、企画や展示会などを催したりして過去には活躍して来たようだが、今の方がまともに見えるのはどうしてでしょう。
アルコール症は孤独の病いとも言います。
まぁ、アルコールでなくてもドラッグにせよ、人知れずするのですから、現実で解消しているのではなく、マテリアルで何とか今を保っている面があるのです。
絆まではいかないでしょうが、適度の繋がりは良薬になるようです。
絆だとキツい。ほだし、ともいいますから、牛馬がどこかに行かないようにしておく綱では、不自由になるでしょう。
妙な言動がありましたが、いままともに見えるというのは脳の活性もありますが、まともな…整合性のあるものに移っていったとも言えます。
流れていれば、どこか身体の歪みが矯正されるようなところがあります。
ここは、こうした方がいいというような。
要はバランス感覚でしょう。
嗜癖に限らず、ある種の見苦しさというのは、現実逃避でしょうか?
いや、現実適応が難しい状態とも言えます。
乱暴な例で言えば刑務所での作業や私立の更生塾に当たりますが、果たして効果はどの程度か?
師匠も言っていますが、アルコールに代わるモノがあればよろしい、と。
言うは易しです。
その手の玄人に聞くと、依存先をいくつも見つけることが自立らしいです。
逆に言えば師匠は依存先をいくつも見つけられているということになるでしょう。
それが(好ましい?)人だったり、モノだったりするわけです。
松本氏などは人間関係が良好ならドラッグは要らなくなるとまでいいます。
海外などではたぶん、人間関係があり同時に趣味としてドラッグを楽しむようになって来ましたが、流れとしてはこの国でも、それについての大小の意見が出ています。
ドラッグを解禁にせよ、と。
混乱が起きるからやりたいなら、海外でしなさいと某医師はいうようですが、どうなんでしょう?
ヒッピームーブメントの時は中毒者がたくさん出ましたが、(海外のスタンダードとして)時代は個人がコントロールを持ってあたる時代なのかもしれません。
あのホームズですらコデインを嗜癖としていましたが、モデルとなる人物にそのようなことを連想する誰かが居たのかもしれません。
ベースは人間関係や、まとも(?)な生活でしょうから、そこに不安があったり不足があればネガティブな方に流れるのは容易いでしょう。
この国ではルールにすれば、隠れてするヤンチャな武勇伝となりますが、ルールにならなければそこらに転がる石ころみたいになるのですから、不思議なものです。
自己満足がどこかにあるのでしょう。