日々のこと(その⑥)
「⑥」かどうか本人でさえ分かっておりません。
しかし、発達障害という言葉は暗に定着した感じがあります。
たぶん、粗雑に言えば「訳のわからないヤツ」へのレッテル貼りではないか?と私は邪推・妄想をしていますが、スペクトラムからすると、人間はどこか発達障害のバロメーターのなかにある気もします。
坂口さんなども躁鬱は誰しも濃度差がある云々という話をしていました。
傍から見たら「鬱」というのは、わかりにくそうで分かりやすいですが「躁」というのは、イケイケな状態・・・妙に活動的で、イメージが湧く状態かもしれません。
「慢性疲労症候群」というのがあります。
疲れすぎというのがありますが、疲れやすい性質からそうなってしまうこともあるようです。
これは個人の性質によるものでしょう。自分はどのくらい疲れやすいか?というのを他と比べたりすると、一日でどれくらい動けるのか?の指標になります。
「サボり」という耳障りの悪い響きですが、性質だと思えばそうイラつくことはないはずです。
(´・ω・`)「・・・」
私などは、仕事していると他が妙に化け物のように見えることがあります。
筋肉バカというか、体力キチ○イのようなのがたまに居ますが、アレと同列に扱われたらたぶん、死にます。
いや、確実に昇天して悪い来世に向かうでしょう。
体力キチ○イというのは、やはり性質でしょう。元々が酒やタバコをガブガブやってもビクともしない丈夫に出来ているのです。
まぁ、それこそ個人差ですからデキるならお給金を上げてもいいと思いますが、なんせ不況も不況ですし、出世や賃金でさえ上がらないのですから、この国は能力を殺しているとも言えます。
それにしても、悪平等とでもいうか?能力ありながら報われないなどというのは、幾らでもある。
よく、ニーズなどと言いますけど仕事など、世の中に出れば大抵は決まっていますから、やはりやった分は支払われないとおかしい。
(´・_・`)「・・・」
さて、さっき「わけのわからないヤツ」へのレッテル貼りと言いました。
だいたい、コミュニケーションが瞬間花火のように高速で返答することじたい、発達障害を促進させているようなものと・・・そんな気もします。
言い淀んだり、躊躇ったり、考えたりするのは、どうもコミュニケーションではない、そんなのが暗に決まっているところがある。
教育現場では知りませんが、あるいはバラエティ番組などを観ると、あれが会話の先生をやっているところがある。
「は?」とか
「へぇ~」とか
も、どこかで誰かやり出したのでしょう。
雰囲気によっては流行り言葉などは、相手を小馬鹿にしたように見えるのは、流行りだからとスルーされるのはおかしい。
流行りは神さまではありません。
「は?」などは威嚇臭いからよしなさい!とサイコドクターなどは言いましたが、反発した感じが非言語的な態度で感じられます。
はぁ…何が「日々のこと」でしょうか?
書いている本人でさえ話しが大幅にズレても修正が効かないのですから、困ったものです。
そういえば有名NEET氏も40を越えたら、あえて人の多いとこ、繁華街には行かなくなったと言ってました。
たぶん、体質(≒心身)が変わり年相応のものを好むようになるのかも知れません。
(スムーズな)40といえばひと昔の娑婆でいうと、課長~部長補佐(↗)くらいのものでしょうが、そこそこ部下ができ、仕事も波に乗り、子供は2-3人…などでしょうが、まぁ、今の時代ですし、変化があって当たり前でしょう。
ましてや、NEET氏ですから、世間ではなく個人で生きなければなりません。
より、オリジナルになっていないとおかしい。
体力気力も「しないで済むような環境」を好むようになるのでしょうか?
よく言えば「まろみが出る」というか?