Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

まともなのは誰か(牧師、閉鎖に入るを読んだ)

ツイッタにも挙げましたが

f:id:Nightapollon:20210606232331j:image沼田和也氏の力作。

病いを個人のものと、世の中とのものと見る方法があります。

これは、どちらがいけないのではなく関連しあっていまの、まともさや病い、おかしさができるという・・・詰まるところそういうものです。

 

本書ではプレッシャーに耐えかねた著者が閉鎖に入ります。

いや、入れられるという方がいいのか?私にはどちらにも言えません。

というのは、患者ばかりに反省を促すのは、どうも綺麗な立場に居続ける者の言いぐさのようで、正直、この手の問題は保留にしたいのです。

 

閉鎖でインパクトある生活を送りますが、そこも社会だと著者は言いますが、やはり、環境の悪さは世の中の問題に通じているように私は感じます。

「そうせざるを得ない体制がある」

と、言う時点で人間は頭がそれほど良いのではないと、言えそうにない。

まぁ、こんな私が言うのもアレですけど。

いや、これは原発の問題にしてもどこか通じているように思います。

よく分からない規制や官庁に制限を受けたり、できることができなかったりと、システムがよく似ているのです。

ゆえに、人はそうせざるを得ない環境に置かれる。

 

この前、森川さんの「その島の人は人の…」を読みましたが、中にある北欧の工夫を凝らしていく文化の紹介で・・・これがダメなら別の何かを考えよう!という考えとエラい違います、ヌポンは。

 

複雑なシステムに縛られる。

 

病院経営もそんな複雑なシステムを前にして、やってみたら違法スレスレだった…なんてのもあるかもしれない。

 

さて、著者は牧師のようですが、医師から重い精神障害を告げられます。

中に、私もゾクッとするような事が書かれていました。

「その、物事を適当に済まさず取り組んでしまう姿勢は発達障害特有であり、常人ならサッサさと流れを止めないようにするのだ」

 

私にとって衝撃的なのは時代により、価値観が違うのだという事でした。

昔なら、ひとつの事にじっと取り組めるのは個性だの性質だの、人権…とうか、立場が与えられていたと思います。

しかし、いまは周りの流れに沿う事が当たり前すぎて居ますし、あの望月記者ですらKYゆえに首相に突っ込んで質問できた・・・逆にいえば、空気読めるのがまともというのが、常識になっていたのです。

 

灰谷健二郎の作品などには虫をじっと見る子が出てきますが、あれはあれで立場がありました。

(´;ω;`)

そういえば、森さんなども郡司さんから、あなたは軽い発達障害よ!などと言われていますが、どうなのてしょう?

発達障害として、あるいは精神障害としてしか立場を与えられないというのは、二級市民的な感じが感じなくない。

 

神田橋老師などは人間皆、発達障害はあると言っていますが、アレは本人が伸びたいという「工夫」を凝らすことで、発達障害は発達しますという、前向きな姿勢があるのです。

ニュアンスが違います。

 

しかし、何ですが著者は3ヶ月で閉鎖→解放の流れで退院していきます。

私なりに彼の挫折はどこかを観ますとティーンエイジャーのときに引きこもりや、阪神大震災をやっており、教会にも行くくらいですから、大樹の影が欲しかったのが分かります。

 

果たして性質だろうか?

しかし、私などもロクな生き方をしていませんから、人のことをとやかく言えません。

何処かに・・・それも、無意識のうちに気づかない挫折があったかもしれないし、ADDICTIONがあるかもしれない。

 

昔の人は神仏への信仰が厚かったと言いますが、宗教とはむしろ人間文化として生きていくためのバックボーンじゃないかしら?と思うことがあります。

いまは、宗教の影も形もありませんが、拠り所としての宗教は無くてはならないものではないか?とも思うのです。

五木寛之さんは、経済はアクセル、宗教はブレーキなどと言っていますが、そういう見方もできましょう。

 

まともさ加減では私などにモノを言わせない方がいい。

人間どこか悪いところはあるのです。しかし、お天道様が見ているは死語ですし、宗教の代わりのモデルみたいなのがSNSやネットなどの、現世利益に結びつきそうなのが担っていますから、人間の目指す目安がSNSなどの世間様になるのは仕方ないところがあります。

 

なお、世間教とはあの医師が言い出しましたが、結局のところ、SNSも世間もあの世に持っていけません。

ゆえに、あの亡くなった人は心のなかで生きているという言葉が出るのです。

 

まともさは、バロメーターになるのだと思います。

なだいなだ氏はアルコール症を診ましたが、患者に向かい、あなたはどのくらいアルコール症になっているかをと居ました。

4割か?

6割か?

行き過ぎは災禍の元ではありませんが、心身症や成人病にしても同じでしょう。

これ以上行ったら、肝硬変起こしたり、糖尿になったりするよ?という塩梅です。

 

なだ氏は患者の健康が周りにもプラスになるのだ、と言うので患者に自信を持たせました。

いまは状況が違いますから、医療費が浮くだの経済効果があるだの、射程が遠くて曖昧なことをいっても患者が納得するかは疑問です。

f:id:Nightapollon:20210607000613j:imageもう一度。
中には反省心を最初から無いようなのや、元少年Aなどの重い内容も含んでいます。

難しい哲学書を読むくらい難しい内容が部分的に書いてありました。

どうすればいいのだろう?と私などは立ち尽くすしかありませんでした。

下手な正解が合っているとは限りません。