武士(ブザー)と義珍(氏)
今野敏氏の2冊を読みました。
武士猿
義珍の拳
主人公の性質の違いがハッキリ現れていて、負けん気が強いのと、体育を目的にしているのの違いが分かります。
長基の負けん気というか、攻撃性は空手(手)の本質を求める姿で描かれています。
ナイハンチから、その技の仕組みを紐解き、それが一体実際なんなのか?を問う姿は修行者でありながら、研究者にもみえます。
義珍の体育を大衆化する目的の空手は、琉球秘伝のものにしない、健康を作るためだとわかります。
ただ、古流が次第に次世代に違ったニュアンスで伝わるのに、葛藤があります。
手(ティー)→唐手→空手の流れがあります。
明治から大正昭和にかけての軍国主義は、やがて戦争に繋がりますが、見栄なのでしょうか?あるいは本土(本州)への意地なのか?手(ティー)なり唐手が取り入れられる姿は近現代と空手の成り立ちが分かってきます。
戦後の武道解禁までの間は小ミッシングリンクを生んだのかもしれませんが、空手本質より、むしろ、次世代に必要な変形した武術の必然性を感じなくはありません。
なお、この1冊でだいたいの空手の歴史がわかるので初心者にはよろしい。
始めにナイハンチありき。
ナイハンチから色々な型が作られていったと言えそうです。
義珍さんは元々、痛いのが嫌いだったそうで、痛いのが嫌いな私も選ばざるを得ないなら、義珍さんにいきます。
(※)作者のイメージで描かれている前提としてです。