過ごしやすい時代か?
とある方面の医師からは、閉じこもりやスキゾには過ごしやすい時代だという。
閉じこもる時期としての「今」は仕方ないだろう。
COVIDの問題が濃厚だからだ。
問題は、スキゾの方で・・・実はスキゾはなんなのか?を探れば、時代の適合度がわかってくる。
人付き合いが苦手とか、不器用とか、人が居なくても過ごせるとか、そんな気質があれば、時代は適合するのだろう。
まさに、個人あっての世の中。
一方、私などは外の仕事がメインだ。
スキゾなど言っていられない世の中あっての世界に住んでいる。
個人プレーをしてたら、どつかれるし、実物や現実を相手にしないとカネにならない。
そんな意味では、生きにくい生きやすいなどは言いにくい。
リモートなども、実際は上司だけとか、リモートやれば「従業員持ち出し」でカネがでないなど、まだまだ課題はあるようだ。
そこを何とかするのが経営者なのだが、長年の習慣からか新たな発想は出にくい。
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あるいは、スキゾ的な生き方が求められているとも見えなくない。
1人で居られるのは成長だと、イギリスのウィニコットは行ったが、人の持つ性質のうち、スキゾの部分を発展させる必要が出てきたともいえる。
しかし、リア充だとか陰キャだとか、実際には口悪く(趣味悪く)分類されているが、そこに比較や価値判断がなされるからいけないのであり、どうすれば生きやすいか?に目を向ければ、さほど大した問題では無いはずだ。
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スキゾは分裂病の前駆体と見られていた時期があった。
あの、吉本某氏も「口下手や引っ込み思案を矯正された」と言うくらいだから、文化的な個人へのイジりが、発病因子に関与しなくはない。
要は口下手や引っ込み思案がよくないという文化価値が病理を生む事があるのだ。
河合某氏は文化の病いと時々言ったが、アレに通じるものがある。
いまでは、スキゾが分裂病への片道キップではないとされているが、人生のハプニングで心身衰弱がある場合、身体病が出るように・・・脳でさえ、トラブルを起こしえる事がありえよう。
芥川龍之介はスキゾだの、分裂病だの、ドッペルゲンガーを見たのだの、言われるが、気を使った描き方が病跡学では見られるという。
なお、ニーチェはてんかん、フロイトはノイローゼ、ゲーテは躁鬱、チエホフは強迫症などと言われている。
そういえば、ベッ○ムも強迫症と聞いた。