実のある内容
いわゆる知識人というのが書くものは知識が詰まっています。
問題はどれだけ内容を噛み砕き、それを理解し、また読む側もそれに似合った力を試されますし、読書というのは縁が左右します。
難しい文章だからいけないとか、安易すぎるからいけないというのではなく、どれほど伝わっているか?になるでしょう。
すごい文章を提示しても読む側が準備できていなければ、どうしようもないし、噛み砕いて読みやすい文章は、頭の回転がいい人には物足りないはずです。
残念ですが脳にも個人個人にさがあります。
頭ではありません、脳です。
どのような知育環境にあったか?どのくらい余裕があったか?で内臓としての脳は発育の差は出てくるでしょう。
幼児期の低栄養が身体だけに響かず脳まで響いたため、知的障害が出たというのは途上国で見られるようです。
無精なため私は大きくなってから学習した者です。
子供が学習するのとは違い大きくなってからは、脳がスポンジという訳にはいきません。
また、仕事もしないといけません。
ですから、ヒマを見ては本から吸収するのが、手っ取り早い方法でした。
それで何とか常識的にはモノは言えるようにはなりましたが、まだ危なっかしいところは残っています。
知育や啓発本からは関連性を良く見つけなさい!と指導がありますが実はアレ、子供の頃の習慣ができている場合じゃないの?と思うことがあります。
閃きも一種の余裕と前に書きました。
余裕がなければ、個人の奥に泉など湧きはしません。
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実のある内容はどれだけ「読み」どれだけ「噛み砕き」ができたか?によるでしょう。
私などもちっぽけな身の丈くらいのことしか書けません。
世の中にはもっと上手く、充実したものがあるのが事実です。