Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

実のある内容

いわゆる知識人というのが書くものは知識が詰まっています。

問題はどれだけ内容を噛み砕き、それを理解し、また読む側もそれに似合った力を試されますし、読書というのは縁が左右します。

 

難しい文章だからいけないとか、安易すぎるからいけないというのではなく、どれほど伝わっているか?になるでしょう。

すごい文章を提示しても読む側が準備できていなければ、どうしようもないし、噛み砕いて読みやすい文章は、頭の回転がいい人には物足りないはずです。

 

残念ですが脳にも個人個人にさがあります。

頭ではありません、脳です。

どのような知育環境にあったか?どのくらい余裕があったか?で内臓としての脳は発育の差は出てくるでしょう。

幼児期の低栄養が身体だけに響かず脳まで響いたため、知的障害が出たというのは途上国で見られるようです。

 

無精なため私は大きくなってから学習した者です。

子供が学習するのとは違い大きくなってからは、脳がスポンジという訳にはいきません。

また、仕事もしないといけません。

ですから、ヒマを見ては本から吸収するのが、手っ取り早い方法でした。

それで何とか常識的にはモノは言えるようにはなりましたが、まだ危なっかしいところは残っています。

 

知育や啓発本からは関連性を良く見つけなさい!と指導がありますが実はアレ、子供の頃の習慣ができている場合じゃないの?と思うことがあります。

閃きも一種の余裕と前に書きました。

余裕がなければ、個人の奥に泉など湧きはしません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実のある内容はどれだけ「読み」どれだけ「噛み砕き」ができたか?によるでしょう。

私などもちっぽけな身の丈くらいのことしか書けません。

世の中にはもっと上手く、充実したものがあるのが事実です。