平(ひら)ゆえの苦悩?現代思潮について
以前、同僚から「賃金変わらないんだから賃金分やればいいんだよ」と聞いたことがあります。
モーレツ社員がお隠れ(隠居)になるご時世、こんな言葉を聞いたら烈火の如くお説教をかますかも分かりません。
中にはスパルタ教育の成果で、頑張る、頑張らせるのが当たり前に考えているのもいないとは限らない。
しかし、確かに賃金は変わらないという現実が横たわっているのは事実です。
頑張っても変わらないのに尻を叩くのは見識が狭いとも言えます。
あるいは、やけくそになっているのかもしれません。
よく、世の中はいま二極化していると聞きますがどうなのでしょう?
新自由主義があり一方では貧困の問題があります。
ニュースでは暗い話が流れますが、不安にしておいた方が、民草は扱いやすいともいいます。
政府などは無くして、個人がやっていけばいいのだ、という意見もありますが、政治はインフラを担うこともあり、果たして個人の活力だけが生きるとしたら、力無き場合は涙を見るかもしれません。
卑近な話、高輪はともかく世でいう高級街などでは、やはり「あるのだなぁ」と実感させられることがしばしばあります。
ゴミで出される空き缶がエビスビールだったり、道行く車がポルシェやLEXUSだったり、小綺麗な一軒家などはやはり「ない」と維持できません。
冒頭の同僚などは、まぁ上がれないでしょう諸事情にて。
「ない」を我慢すれば更に上から負荷がかけられるかも分かりませんが、現状をどうやりくりしながら、チャンスを待つ方が賢いかもしれません。
現状に甘んずれば現状を自慢しだしますし、時に同じような境遇で手探りしている同朋にキツい一言を言うかもしれません。
そこは、良心というかマナー、人間性が試される瞬間でしょう。
穏やかにして機会を待つ
賢いやり方かもしれません。
国は斜陽に向かい、あるものも減っていくなら、ジタバタせずに、平常心でものを見た方が物事に煩わされずに済みます。
鴨長明でさえ、都の落ちゆく中に諦観をもって方丈記を書いた印象さえします。
「欲しがりません勝つまでは」ではダメです。
あれは我慢を強いるやり方です。
どこかムリを感じさせますし零戦、竹槍が飛行機を次々落とせますでしょうか?
精神でもって現実を見る目を曇らせる良くないやり方です。
しかし、調子の良い時代から次に産み落とされた世代というのは、やはり落胆がないはずはありません。特にいま上手くいかなかった場合。
チャンスはあるはずと、いつまでも力みますが次々と次世代が登場しますし、自分の身体は衰え、ムリが効かなくなってしまいます。
たとえ、当時何でもできたとしても、その「できる」を次世代が持っていたら、パワーで吹き飛ばされるでしょう。
だから、ヤケになるのです。
これは、落ち着く所までいかないと解消しないかもしれません。
現実と自分を見つめ折り合いをつける作業が必要になります。
心理学者などは、中年の危機を例に挙げますが、やはり状況次第では使えなかったりしますから、別の手段で考えていった方がいいかもしれません。
ましてや、次世代です。
前の世代の事情などよく知らなくて当たり前な所があります。
盛んにヘイト、ヘイトだと騒がれていますが、実はもっと身近に無理解からの差別が生まれる可能性も秘めています。
現状を待ちながらチャンスを得るのは、どうやら生活していく中で必要なものなのかもしれません。