知の巨塔が亡くなられた(その他)
私の昼は握り飯か値引きの弁当🍱です。
持ち運びが下手糞。
¥150の牛丼です。
チェーン店ですら¥300を行ったり来たりしているのではないでしょうか?
職人気質がよく、カップ焼きそばを2つとか金欠でいきますけど、常食はさすがに見ている方も、何かイヤな予感がする。
値引き弁当も考えたら、もっと安くできますが、人間はロボットでは無いことが頭を過(よ)ぎります。
ショベルならガソリン入れればよろしい。
また「なぜ人を殺してはいけないの?」と若い人が、その手の事件を起こしたが、生きる喜びの可能性を奪ったという罪作りを、感覚的に分からなかったのでしょう。
大人も人のこと言えませんが。
(´;ω;`)
さきほど(午前中)、立花氏が亡くなった知らせがありました。
あるほど臨死をしつこく研究している方はいなかった。
晩年は死後生があってもなくてもいいくらいに、言っていましたが、いまは何処におられるのでしょう?
天外氏、○○氏(※)、つのだじろう氏に繋がる系譜、あの世ことやサイキックについて、慎ましく研究される方の出現があるだろうか。
なお、脳死についても「竹内判定」や他の基準を用い、脳死は臨死を見るくらいだから、脳はまだ生きているんだ云々…なことも言及されていました。
(※)マッカーサー総帥と事務手続きをしたあの方です・・・あの、名前が出てこない。スウェーデン・ヴォルグが好きだったあの方。
また、立花氏の名言に…
「会社を辞めたのは本が読めなくなるからだ」
というのがありました。
凄い量の本を読む方で私などは及びません。会社やっている限り。
現場だけが全てだ!と、たまにイキるのがありますけど、知的に物事を予想するというのは有りでしょう。
傭兵を無駄死にさせません。
物事には「読み方」というのはあるもので、躊躇いながら進むというのが、かなり余裕を保つやり方ではないか?
何事も緊急事態にせず、冒険心(≒無謀さ)を過度に出さず、長命して幸せになるやり方が。
公園にせよ空き地にせよインフラというのは、どこか救いがないといけない。
柑橘植わる都心の公園。
半官半民で公共事業があると、商業化の匂いがしてくる。あと、管理化。
夜半に大騒ぎされるのも問題ですが、17時に閉まる公園というのもどうかと思います。
綺麗さを手に入れましたが優しが失われました。
青山の児相を思い出します。
数年ぶりにタマムシを見ました。
踏み潰すとこだった。
生きる宝石です。
よく見るとラブリー❤
大昔、この小さな虫を大量に集めて牛車(籠?)を作ったと言われています。
余裕がなければ…相当ヒマでなければできない仕事です。
中くらいのピラミッドを建てるくらいの労力を要したかもしれない。
都(みやこ)タマムシは希少でしょう。
読む本が無くなったのが辛いです(´;ω;`)
カレーやご飯が飲み物なら、書籍は脳の食べ物です。
よく、高等教育の学費の高さが問題になります・・・というか問題です。
レッテル貼りに入れるため、バブルの頃からカネがものを言いました。
とある出版社のモットーには「学術をある階層だけに留めておかず云々…」とありましたが、教養・教育・その他は、豊かさに直結します。
物事は知らないより知っている方が良いというのはこの事です。
もちろん、温故知新や最新の科学などは知らないより知っていた方がよろしい。
昔はどうやりくりしたのか?
いまの技術はどのくらいか?
極端を言えば助からない命が助かるような。
昨日、皇居ランナーについて書きました。
実はランナーの感覚わからなくない。
木はある水はあるで、皇居は清浄な所と感じ取れます。
4車線道路や首都高、人の往来は周囲で激しいですが、それに負けないくらいの公園や植え込みが整備されています。
ネット世界がよくデマや嘘が出回ると言いますが、私はむしろ「マンネリ化」の方を気にします。
一億総「外こもり」のような事態がスマホの普及なら、情報が広まりやすくなった・・・親しみやすくなった分、「ああ、あのことね」という感じでフラットになります。
歩けば当たるくらいネットに見入っているんですから、陽キャの生きる術(すべ)がネットと言い替えても言い過ぎではない。