これでも休日です《更新》
午前の雨がようやく上がり、梅雨で無いような夏日がやって来ました。
今更(13:50)、どこか出かけるのは時間が経ちすぎています。
若さというのはパワーという・・・自由の換金券のようなモノがあるでしょうが、歳をとればどうも動くのが億劫になる。
よく、様子見に自治体の人が生きてるかどうかを確認に来る・・・というのがありますが、あれは最低ラインです。
今日も元気に外に行きましょう!というのは、冗談じゃない。
歳をとれば身体との相談になってくるのです。
非活動的になるというのは、穏やかになると言うよりも、日々の労働により動けなくなっている、と見た方が無難です。
どうせ、潮周りが良くありません。
フィッシャーたちに渚は任せましょう。
泳いでもいいですが、パワーというか体力が回復してません。
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夕方、ようやく体力が80%は戻ってきました。
私の場合、気圧にも左右されますから高気圧というのは調子がよい。
偽(ニセ)躁鬱なところがあります。
躁鬱はかなりバイオリズムと重なっているのではあるまいか?
せっかくなので、原木のコーナンまで足を運びます。
江戸川区の店よりデカい。
もうちっと行けば職場になってしまいます。
どこか、コソコソしてしまうのは本能からでしょうか?
世の中に出るだけで「傷つく」というのがありますが、アレは大抵は勘違いや思い違いから発展していくのではあるまいか?
ゲスの勘ぐりと言いますが、悪い方に捉えやすい者というのは印象ですから、自分にもエラーがあって当然としないと、(互いに)勝負じみた付き合いになる。
ゆえに、余計に疲れる。
善悪で分けようとすれば、大体引込みが付かなくなるから言い通す。自分が傷つくかないように。
また、その後のポジションに悪影響がでないように。
関係にヒビを入れる言葉というのに無頓着だと、それまで構築した関係が台無しになるというのがわかりません。
むしろ、その無神経さ・無頓着さは、ここで暴れても要求は通るんだ!という子供のやっている事と同じです。
正しければ暴力は許される(≒過剰な正当防衛)は、暴力の発現の敷居を下げてしまいます。
時々、凛とした態度で接し人間関係なども修正しないと、惰性になり過剰な甘え・・・依存関係に発展する気がします。
真間川の許された場所はルアーマンの聖地かもしれない。
シーバス狙いに良いポイントが原木公園のあたりにあります。
工業地帯ですから護岸に舗装され海には降りられません。
当たり前ですが。
ちょっとしたシャツを買いました。
バカ高いものではありません。
もし、そこそこ良い物を選ぶなら・・・ワークマン、コーナン、ドンキ、メルカリ辺りを探りましょう。
取っ付きやすい店舗を頭に入れておくと便利です。
なお、国立には¥0ショップがあるようです。
興味深い話です。
タダでは悪いから何か置いていきたい心境陥りやしないか?
詳しくはググッて下さい。
照り焼き弁当が¥150也。
フードコートの品物がやってられなくなります。
ここで喰おうか?躊躇いましたが、明日のお昼にしようと考え直しました。
VIVA節約生活💪です。
もっと言えば、作った方が安い場合もあります。
考えてみれば、モノが値引きされても躊躇うというのは、当たり前なことです。
おちんぎんが低いのですから、景気のいい時とは感覚が違うのです。
¥150の弁当を目の前にして給料が低額なら、まぁ…ようやく買えるわな、となる。
ほか弁より安い🍱
よく、経営について色々意見が出ますが、家事だって立派な経営でしょう。
これだけのもので、どうやりくりするか?などは、当てずっぽうでやっていては、破綻します。
これだけしかない、というのはケチ臭いですが現状・現実から見て、どうやっていくか?と頭を使う作業でもあります。