狩猟採集的生き方
むかし、無人島で¥0生活のようなものがありました。
魚を油で揚げて喰うのが上手くなりそうな番組でした。
むしろ、番組終了後にコレステロールの心配が出そうで恐ろしいです。
都市近郊の海…あるいは、山などには漁業権がありますし、公園などになる木の実や果実には拾得物扱いが最近うるさく言われてきました。
なんせ、セミを喰らい自治体からセミを採らないで欲しいと勧告が出たくらいですから、人間本来の好奇心と言いますか、冒険心は規則や理性の下には本能が渦巻いていると見ていいでしょう。
川崎(内水面漁業含む)や行徳・船橋ですら、漁業権があるというのも・・・何というか。
少し前に瀬戸内が綺麗すぎて海苔が育たないとニュースがありました。窒素不足です。
東京湾の富栄養化は行き過ぎれば問題ですが、逆に人為的な栄養が海を富ませているという意見もありました。
里山ではありませんが、里海・・・手入れにより自然を生産現場にすると言うのがあるようです。
さて、狩猟採集というのは形式だろうか?
坂口さんなどは躁鬱は狩猟採集人間とイコールとしています。
前にチラと聞いた限りではスキゾが狩猟採集型と聞いたことがあります。
・・・結局のところ、バロメーターというか、体質や性質(成分)の問題になるのでしょう。
たとえば、循環・粘着・スキゾなどの古典的な人間分類があるとしたら、比率で表すと・・・
4:3:3
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とかに、なるのかもしれない。
まぁ、上3つ以外にも分類出来る(※)ようですがとりあえず大雑把に分けると、いまの時点では3つということです。
(※)循環、粘着、スキゾ、神経質、顕示、偏執
私などは躁鬱とは遠いですが、かなり浮浪雲のようなところはあります。
もし、サラリーマンですら1つの能力だとすると、ついていくのがやっとです。
(´・ω・`)「できればリーマン以外の生き方を探りたい」
勤め人などは変わった事をすると煙たがられますから、はみ出さないような教育やルールが蔓延るのもわからなくない。
坂口さんなどは神田橋老師からヒントを得ていますが、関連して「変な人は正しくすると苦しいのよ」というのがあります。
これは、元から変なのか?教育が失敗したのか?分かりませんが、とにかく変に生きないとならないのも世の中いるのです。
個性というか、これは体質や気質のようなものに違いありません。
しかし、価値観の一律化と言いますか、最近は同調圧が言われますが、昔より煩くなっていると感じます。
どうでもいいことを正しくしてみたり、些細なことをルールにしたりと、まるでルールに魂を売るようなものです。
こういうの(同調圧)が好きなのか?マゾヒスティックなのか知りませんが、こういうのに付き合って居られるというのも能力・・・何となく流されるままに、ありのままに、というのが性に合うというなら、文句ない。
私などはその中に居ると腐りそうになりますから、はみ出さないとなりません。
しかし、世の中にはルールがありますから、捕まらないはみ出し方・・・野外で妙な事をするなどをしないと、息苦しくて仕方がない。
社会の必要悪としての物事も「型」なところがありますから、それすらも受け付けないというと、もうオリジナルしか残されていません。
まぁ、そんな時は面白いことをしましょう!に限ります。
誰からも既製品からも楽しみを貰わない、自ら楽しみ出す何かを見つけるしかないでしょう。