強さも弱さも
この歳になると色んな事が阿呆みたいに思えてきます。
学校などは昔の科挙ですし、世の中への選別装置でもあります。
あるいは、世の中はの縮図ともいえます。
また、世の中に出ても学校の延長と思えるのは仕事などしていては分かりますし、坂口さんは会社などは部活のようなものだ、というのも頷けます。
同じ内容を1日ずっとやるのですから、学校のように算数、国語、理科などバラエティーがない。
部活だけの世界です。
それにしても、道徳に評価がつくのも不思議な話です。
ナイーブでデリケートな内容をどこで一律の評価に見立てていくのか?
考えさせるだけの授業というのが、効果のハッキリしないという理由から上が嫌うのかもしれません。
滑稽なのはSPIや性格検査などをどうパスするか?などで、どうすれば格好が付くか?という対策を組まれているそうですから、メッキを塗っているようなものでしょう。
まぁ、早い話、どうやってのしあがれるか?系なのです。
30年前ですら、保護者会で道徳云々の話の後に、塾は?受験は?の話しで盛り上がったと言うのですから、状況はあまり変わっていない。
いや、塾や学校へ行くコスパを前に…露骨に出してくる点では、昔より浅ましくなったと言えなくはない。
さて、魚(うお)が大海に出ていくように、学校というのは世の中の縮図で考えていけば、慣れやすいのもいれば、慣れにくいのもいます。
大昔は大学など、世の中にでられないヤツをプールしておくのがよい、と言う考えもありましたが、いまは泊をつけるための養成所になりました。
学士様々です。
子どもを早く世に出した方がいいと言う考えもありますが見極めは必要でしょう。
現に、学校を放り出していた不適応な私でさえ、世の中で不適応なパターンもありますから、難しいところです。
お題に戻りましょう。
私などは弱いですし無教養ですから…
(´・ω・`)「コイツ、嘘言ってんじゃないだろうな?」
と、感覚をよく働かせます。
常識には優しさは良いと言いますが、そうでも無いはずです。
甘い汁に猛毒が含まれている事はザラにありますし、街にはカネを借りるところは幾らでもあります。
おカネって何なんでしょう?
結論から言えばカイザル(おカネ)なしで世の中が回れば良いと私は思っていますが、いまは詳しくはいいません。
優しさにより、身を滅ぼしたなんてのはいくつも聞いたことがあります。
介護で疲れ果てたのは良くあることでしょうが、仕事上善意を施したら、漬け込まれたとか、他の派閥から攻撃されたとか、何か良いことをするというのは難しいのです。
坂口さんのように器用な方なら、良い悪いをスパスパと切り分けたり、時に厳しくしたりできるのでしょうが、要は引き際やしないでおく、などのテクニックか必要になってくるのです。
また、弱さに関しても然り。
弱さは弱い人まで分かると格言のように世の中に出回っていますが、そうでもない。
貧困ビジネスがそうですがカモです。
何もしなければ、入られるのですから、オチオチしていられません。
また、学校不適応になった子に手を出したとして、問題になったケースもありますから、コイツは信用していいか?悪いか?という勘は弱くなったり、弱ったりしても手放さずにいたいものです。
福祉の人間が必ずしもいい奴だとは限りません。
理想は大事ですが、それだけでは喰っていけないではなく守ってはいけない。
しかし、3万自殺するのですし、それを傍目にどうしようもないとして、今日も明日も会社に行くというのは単なる金儲けにいく、行かせられるようなものでしょう。
それで果たして社会貢献など働いて出来ているものか?
病い・・・特に精神などに陥っても、なったヤツがいけない!と落とし所をつける文化やシステムですから、事前に守りに入ってしまうのは有り得ます。
邦人が冒険しない、フロンティア精神に欠けるというのはここから来ているのでしょう。
村上さんは弱さを秘め強さも持つという器用さを持ちますから、弱さを含めた作品ができるようです。
マラソンなどするのですから相当タフなはずです。
しかし、一方では弱さを描写しないといけない。みっともなさや、どうしようもなさも描かないといけない。
弱さが分からない場合は、登場人物など描けないでしょうし、自らの弱さはどんなものか?というのも直面しないといけない辛さがあるはずです。