Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

居ないものをイメージするとは?

内田さんは六芸のうち「礼」は作法だけでなく、居ないものへの作法と言っています。

たとえば、これまで亡くなっていった者と言うのは語りません。

 

第六感の鈍い私などは分かりませんし、イメージしながら、亡くなっていった者へは慎重な扱いをするしかありません。

霊感など、磁力だの、重力だの、電磁波だの、皮膚感覚だのいっても、どれも第六感、七感、八感などの部類なのかも分かりません。

 

居なくなった者への作法というのも変な感じがしないでもない。

だって、もう居ないのですから、仏壇やお墓がありゃいいじゃないか!な話になってきます。

では、死にゆく者に対し、貴方はもう居なくなるのだから用済みね♡なんてのも酷な気がします。

 

死んだ者は何を想っているのか分かりませんし、余裕のないご時世は、そこまでやってられないというのもわからなく無い。

 

しかし、無念の死と言いますが、言ってるのは・・・あるいは、そう決めつけてるのは残された者です。

無論、楽しんで逝くなんてのは私は見たことありませんし、動物でさえ本能から死を回避するという、痛みからの逃亡な行為もありますから、死とは高等動物でさえ、おっかないものと見ていいでしょう。

 

1番良くないのが決め付けではあるまいか?

あの人は苦しんで逝ったのだから、それなりの供養は必要だ!と。

理屈は分かりますが、何のための49日か分からなくなります。

たぶん、生者死者ともに、落ち着くために設けられた日数分なのでしょうが、それ以下でもどうか?だし、それ以上でもどうか?な部分があるのでしょう。

 

死んだあの人はこう思っているはず!というのも、生者の決め付けです。

それで、言動が左右されるなら、軽くインチキに掛かりにいくようなものではないか?

 

要はもっと、慎重に、見守るものではないか?というのです。

霊能者ではありませんから、ハッキリしたことが言えませんが、居ないものを居るようにイメージすれば一呼吸置けるものです。

 

ただ、そこでまた「○○思っているはず!」となれば、死者と心理的に分離がなされていませんから、思い込みで動くことになります。

 

49日は生者死者ともに慰めの時期として設けられているはずですから、そこから、これからは死者ね!生者ね!と完全分離させて、生活なり死活なりを共にしていかなければなりません。

 

死者に引っ張られるといいますが、生者の思い込みなことがあるでしょう。

つのだ○ろうの流行った時代ではありませんし、ここまでオカルトと遠くなった時代は珍しい。

まぁ、スマホやネット世界がありますから、それどころではないのでしょう。

 

残留思念体は魂魄の魄の部分といいますが、時期に自然浄化するものと言われています。

f:id:Nightapollon:20210516023935j:image魂はエネルギーの総体に還元されるのかしら?

とにかく、死者については・・・あるいは、その場に居ない者についても慎重になった方がよろしい。

何を考えているのか分からない、というのがベースですし、人間(だった者)ですから、考えなど次第に変わって言ってもおかしくありません。

 

黒白思考といいますか、物事を割り切って考える時余裕が無いないですし、決め付けやすい状態ですから、重要事項のことはペンディングにして、自分の生活に戻った方がよろしいと思われます。