インパール作戦と企業戦士
インパール作戦のドキュメントを観ました。
むちゃくちゃな戦いだと感じました。
大将の味方何百人分(死ねば)が領地になる、という発言は残酷ですし、不合理極まりない精神論でイギリス合理の作戦に敵うわけありません。
上層部の人情のやり取りで、多くの日本兵が亡くなりました。作戦も現実的な見極めも考えていなかったのです。
人間をモノとして・・・しかも見方ですら、そのようにあ使うのですから、戦争の悲惨さというより、悪魔的な人間もあると言った方が良いでしょう。
悪魔は酷いなかにいるのです。
また、雨宮女史の文章も読みました。
現代の稼ぎ方のあり方にインパール作戦が重なるというのです。
強引な上司や無能な管理職のハラスメントじみた扱いなどを挙げています。
いち勲章や見栄、意地、男のロマン、プライドが、無謀なやり方を生み犠牲者を出していると言います・・・そう言えば、年間2万人が無くなっています。
インパールの大将のように悪魔的な存在はいつの時代にもいると見た方が良いでしょう。
原因は分かりませんが、そういう人が出てきてしまうのです。
村上さんがいうノモンハンにせよ、優秀なテクノクラートが無謀で要領の悪いことを大陸の北でやったともいいますから、彼らに欠けていたのは何だったのか?と私は思います。
雨宮女史は無能な上司と文章で言っています。
その無能さゆえの無謀さは犠牲を生む・・・要はハラスメントじみた扱いを受けるから逃げろ!と。
確かに逃げるな!戦え!という言葉がありました。
しかし、いまはやる側、やられる側に分かれている感じがします。
やられなければいいじゃん!みたいな当たり前な会話も時々目にします。
要領のいい人間や上手くいっている人間からの目線です。虐待や被虐待の関係は催眠や暗示の関係もあるので、簡単にはいきません。
まとわりつく、呪詛みたいな言葉のいかに多いことか。
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ところで、雨宮女史は無能な上司(大将)といいます。
私は少し違和感があるのは、むしろ声のデカさとある種の報われない才能が原因ではなかろうか?と、そんな気がします。
個人としては心身や運が丈夫で恵まれているかもしれませんが、無鉄砲なやり方や無謀なやり方は軍や集団を扱う能力とは、別物ではないか?
彼らに欠けているのは個人としての理想がパラノイアとして融合したもので、現実をみることはできますが「人」を見ることができない。
自分の延長が人や現実と思う故、扱いも自分の手足の先と同じようにする。
言い方を変えれば、自分と世界が融合しているというものか?
卑近な言い方ですが、個人としては優秀ですが、人格が崩壊しているのをかなり見てきました。
原因が何かはいまは問いません。
原因とは過程で作られていく事がありますから、過去の1つに目を凝らしても、経過で躓いていれば、それを見逃します。
パラノイアというか、病的な存在があるとしたら、人情ではないし、平等性でも困りますが、やはり退ける方が得作でしょう。
感覚的におかしいというのがなければ、火炎にまで燃え上がります。
強さや丈夫さは時にとんでもないことまで要求してきます。
自分がベースで世界がなのですから、周りもそうだと思いますし、対等にやれるだろうと見ています。
あるいは、企業戦士ではないですが、闘争心や功名心なども人間性、多かれ少なかれあるとしたら、丈夫な者が制するのは当たり前なことでしょう。