後から教育
昼は貴重です。
自家製おにぎりを食べます。
握れば¥80前後でしょう(適当)。
大きめのを2つも食べれば充分幸せになれます。
都内へ研修に出た際は店の高さに驚きましたが、そんな時も如何に安く仕上げるか?がコツです。
店もCOVIDで弁当を持たせるようにしているようですが、それだって¥500以上はします。
大変でしょうが。
お昼の貴重さは続きます。
頭にも養分を与えます。
読書などくだらないという大人も出てきました。
価値のあることとはなんでしょう?
株やって、ヒマはゲームで潰して・・・あっ!株自体がゲーム感覚か。
まぁ、そんなんで人生の楽しんで…という要領の良いのも居るのでしょう。
平田さんの本ですが、学問など通過儀礼のためのようなものだ、みたいなニュアンスが批評的でしたが、まさにそうです。
学問は続けてナンボです。
後から学問の必要性を感じた私などは、今から「通過儀礼」に向おうとしても遅すぎます。
現実・・・というか、世の中ではむしろ、学問よりも要領の良さや生きる技術のようなものの比重が大きいです。
師匠の1人などは「そんなことして何になるの?」系な言葉を浴びせられるだろう、と言いましたが、これをカネ、パワー、モテるなどに価値を付ける一様性から見た言い方でしょう。
「生きること」にバランスが良ければ良いのですが、上の3欲だけと言うのも、なんか秋の薄ら寒さを感じるようで、何とも。
私などは、学問が足りないのと同時に世の中のことが分かっていないのかもしれません。
メジャーなsystemというのは放って置いても回ることがあります。それだけ、数が集まるのですから、回らない方がおかしい。
俯瞰したら歯車のような様相かもしれませんが、それに合致するというのは、少しの幸せのかもしれない。