狩猟採集的生き方(ダンボールハウス編)
坂口さんの¥0で都市に住む本を読みました。
ダンボールハウスから、ワンカップ、食料確保、ソーラーバッテリー、公園の水など、当たり前の生活のを疑うことが盛りだくさん書いてあります。
ダンボールハウスなら今すぐできそうですが、実際にアウトサイダーというか、知恵や工夫、オリズルラン式の生活網(※)を広げるのはセンスが要ります。
解説者の九龍さんも隅田川のイチローだ!と言いますから、プロの取材者たちをこの場合、信用した方が良いでしょう。
(※)Dr,中井久夫より。
私の印象では神田橋老師は躁鬱、中井大先生は分裂病を扱う感じがしますが、狩猟採集やオリズルラン式の生活網は分裂病の特権ではないようです。
ある意味、得意技、持ち味についてどれだけ勘が働くか?で枝葉を伸ばしていった方が良い気がします。
中井先生ではありませんが、当時は患者が独自の生活網を持っていて、それをなかなか見せないとありましたが、見えにくいのかもしれないし、わざと見せないのかもしれません。
秘密の花園はやはり精神健康によいのでしょう。
現実に現した理想郷は住みやすさからさして、侵されたくない。
中井先生は患者の地理に役立つと言っていますが、分かる気がします。
さて、都会で住むというのは坂口さん曰くレイヤー(階層)があるといいます。
その見極めというか、観察眼により「隙間」を見つけるとでも言うのでしょうか?そうすることにより、会社勤めだけ!という息苦しさが緩和されそうな気もします。
ヒンズーの生き方ではありませんが、人生の四季・・・4期に分けています。
最後などは家族を捨てて乞食になると言うのですから、壮年を過ぎれば「遊ぶ」ことが大事になるのかもしれません。
私などもご老人たちがどういう経歴かは知りませんが、海や皮で遊ぶ姿を見たことがあります。
ノビルを抜いたり、ワカメを拾ったり、アサリを採ったり・・・まぁ、中には年行けば遊ぶ所がないと言う人も居ましたが、働き者なのでしょう。
シティーボーイなのかもしれません。
法は置いといてレイヤーを見つけること!と坂口さんはいいます。
ある意味、法に馴染んだ生き方ができる世界という道があれば、一方では無法とは言わないけど「層」として生きるスペースがあるのではないか?
河川敷は住みにくくなっているようです。
生存権温存で黙認されているところもあるようですが、江戸川区の中川も芝が植えられ綺麗になりましたし、作物が作れることはもう難しいでしょう。
COVIDのときは、ストレス発散のランナーたちのコースになっていました。
・・・どうなんでしょ?
法!法!といいますが、一昔前よりも法を前に出す感じがある気もします。
監視カメラも増えましたし、ゴミ捨て場も鍵をかけられる地域も出てきました。
キッチリ法や規則があるのはスッキリするのでしょうか?
宮本常一ではありませんが、最終判断としての「法」というのがあり、その前段階として話し合いや程度のあり方が、その昔ありました。
要はどうにもならなければ法に頼るというやり方です。
その方が、ギスギスしませんし「余地」があります。
もちろん、工夫の余地です。
じゃあ、ここまでは〇〇しておこうみたいな。
それにしても、ダンボールハウスは死ぬ前までにはやってみたい。3枚下に重ねれば寒さも気にならないというのですから、高価な床暖房も必要ないかもしれない。
¥3万で丈夫なコンパクトハウスができるというのですから、ローンや家賃がバカみたく思えてきます。