定型としての不条理(精神編)
理想主義というのは現実の些細なことを拡大解釈してみることがあります。
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子供の不登校にしても、クラスで3-4人いる計算なら、それ以外は上手くいっているのだから、少ない数はとりあえず見ないようにしよう、となります。
経営者感覚なら全体の「運営維持」に主眼を置きますから、上級管理職に対して良い顔をするに決まっています。
要領の良い方でしたら、法律に詳しい人も味方に入れているでしょうから、全八先生や熱血教師などという・・・いや、もう少し理性的でハト派な「子供のため」なんてのは、時代遅れではあるまいか?
学校がダメなら教育委員会に直通という時代もありました。
営業成績や悪い点を考えた際、ない方が越したことがないのですから、どんな手だてを使っても穏便に済ませていくのですから、無機的な感じにならざるを得ません。
民間救急車というのを初めて知りました。
これから、その本を読もうとしていますが一時期、家族にどうしようもないのが居るのを引き出す、移送業者や引き出し屋が話題になりましたが、あの延長でしょう。
提携した医者さえあれば、ビジネスにもなりますし、家族からも高額ですが、解決の1歩になると言われます。
某医師は彼らの「暗躍」の凄まじさを言いましたが、これは文化的にどうしようもなく発生してしまう事ではあるまいか?
むしろ、ようやく気付いたレベルの気がします。周りが凄まじい文化であれば、1つの問題から・・・問題は少なかろうとか見るのは拡大解釈の1部ではないか?
実は広大な荒野が広がっており、そこで行われているのは、前時代的で非人間的な退行した世界がいまだに広がっているのではないか?
暗躍といいますが、その素地が前にも後ろにもいかない自体が過去未来続いてきた・・・あるいは、続いていく予感があります。
相談先が無いとか、八方塞がりだというときに、黒いけど解決の上手いルートが無くはないでしょう。
「どうしようもないヤツ」というのは結果ですから、いまの文化からしたら下手に出た方が生き上手でしょう。
改心と言ってガテンなんかやれば、周りが大喜びです。
要は結果オーライな文化のようです。
過程には様々な紆余曲折があり、マイナスを作る因子が彼を取り囲んだのでしょう。しかし、再び同じ舞台に上がれる確率は高くないと思います。
ゆえに、ガテンなのです。
だから「改心」が好まれる。
そりゃクラスの3-4人がダメでもポジティブにまだ多数が残ってるさ!などいうのは全体思考でしょう。
893作家には乱暴者は過去、その道をに入るのを教官が教えたというのですから昔の方がその点、善悪を超えて、幅が広く、柔軟だったのかもしれない。
もちろん、彼の過程はとりあえず置いとく話ですが。
まぁ、放課後スクールなどもフリースクールなどとゴッチャになっているとこもありそうですから、虫の好かないヤツと鉢合わせるなんてのもあったら・・・解決できないかもしれません。
私などもむかしは教官からは放っておかれるタイプでしたから、そこが無事、営業成績が出せればいいくらいのとこだったのでしょう。
どうすれば、無事に何事もないか?を優先させますから、給料のことで精一杯で子供どころではないでしょう。
果たして仕事とはなんぞや?な感じになってきます。
まずは自分の生計を立てるためなら、内容は無機質になっていくのも分からなくありません。
凄い問題ですが。