Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

寛容さは程度ではないか?

近年、ルールが異様にたくさん作られていると言います。

内容にもよりますが条例にせよ、同じようなものと思います。

監視カメラがそうであるように、街のあちこちに見られますし、ドライブレコーダーはおろか、列車にさえカメラが付く時代です。

まぁ、列車などは痴漢に対して証拠になりますから、安心でしょうし、夜中の暴漢なども話しは分からなくありません。

 

専門家によっては声にならない場合の良いツールができたと言いますから、メリットはあるのでしょう。

 

それにしても、防衛過剰のような気がするのは私の魂が濁っているからでしょうか?

いまでは、警備員が学校に入りますし、むかしと違い休み時間は教員が見守りをするようになっていますから、保護者からしたら安心といえば安心でしょう。

 

「安心」を代償にして自由が奪われている気もします。

まるで、メーカーへのクレーム対応のようにあってはならないとして、神経症のように危険分子をプチプチ潰していくような感じです。

 

むかしの感覚からすれば「(どっちだって)いいじゃないの、それくらい」なんでしょうが、それが許されない。

不安や訴えというのは、誠実に・・・そして、訴えをきちんと処理するのが当然となります。

不安を解消させるというのは強迫症のようですが、キリがありません。

 

イライラには不安があると河合さんは言いましたが、もうひとつに不安を解消させると気持ちがいいか(=カタルシス)があるからではないか?と私は思う。

あるいは「思うようにいく」という支配欲が満たされるというか。

 

どちらにせよ、ドラッグのようなものです。

継ぎも満たされる、満たしたいというのがあれば、いつか、どこかで、使いたくなるものなのです。

これは、やられた側はたまりません。

 

ここらへんは、脳科学者のあの方が詳しいでしょう。

精神科医の立場ではまだ脳はブラックボックスだと言いますけど。

 

変な話、妙ちくりんなカタルシスをするというのは病いに等しいのではあるまいか?

強迫症くらいなら、自分でやっているからよろしい。

これが、他者に向かうなら他者を巻き込むカタルシスゆえ、関係性が病的になっていきます。

確認強迫なら、他者も巻き込むと言いますが。

 

ブラックジャックではありませんが、あるいは、なだいなだ、でもありませんが自覚のない病人は治せないに等しい。

ブラックジャックなどは、医者など歪んだ心など治せないとまで言います。

なだ氏は患者が病と対峙することにより、治癒よりも成長や成熟?を目指すのだ!ともいいますから、人間の成長誠実について、何たるか鋭い見方をしていました。

・・・しかし、成長や成熟でさえ文化が関わるともいいますし、世の中が成熟すれば、個人は未熟になりうるというのが最近の話にはあります。

 

未熟でもやっていけたり、世の中や集団、文化が未熟を求める性向なら、個人の成長成熟は妨げられるのです。

ココも土居先生の甘えの本を絡めて考えると見えてくるものがあります。

甘え、甘えさせる関係。

親が子に・・・子が親に甘え、甘えさせる関係で物事は作られるのです。