生きる術は多い方がいい②
暗殺○室のノリではありませんが、子供世界だけでなく大人世界になっても処世は広げても良いと思います。
村上さんなどは「この世において慎重になりすぎることはない」と文章に残しています。メタファーではなく・・・いや、メタファーでしか伝えられないからでしょう。
意味によっては誤解を生んだりギクシャクしたりするでしょうから。
どうも、メンテナンスというか良好に○○しておかないと「粗く」なることはあるようです。
生活ではありませんが、掃除したりゴミを出したりして家の中がまともでいられるように、人間関係もそうですし、自分の身体だって手入れしないとなりません。
「勝手によくなる」というのはあるがままな感じがしますが、一方では原生林で人間がやっていかれないように、ある程度の里山にして生活しないと良くはなりません。
あるがままというのが、流されっぱなしな感じがあるのは、受け身であり能動的なものがゼロでして、それ自体が中庸では無いからです。
自然に対して・・・物事に対してサッサと動ける方がバランスはよろしい。
残念ながら、人間だって自然です。
意識としては不都合はあってはならないとしたいでしょうが、どこかで折り合いを付けながらやっていくしかないようです。
なかには、名人や名医というのがあるようです。
「活かすも殺すもさじ加減」と言うように器用どころか、神業、まさに天才というのが居るようですが、私のような凡人には鈍行列車で愚直に行くしかありません。
人間は自然といいました。
嫌なことがあれば反応はありますから、粗暴な振る舞いが嫌がられる今では、人間関係や言動でさり気なく、暗器使いのようにえげつないストレス発散になるのです。
これは上等なストレス発散とは言えないでしょう。
上手くいかないなら他所で当たるのがまだ、中くらいのやり方がでしょうけど、大抵は酒や愚直でカタルシスに向かわせるのが、精神・・・心身の健康に繋がるのです。
(運動や)肉体労働などは、労働と給金がイコールな関係ですが、そこに心地よい疲れがあれば、カタルシスは上手く働いています。
しかし、不快な、ウッとするようなものが体内に残るなら、考えたら方がよろしい。
いまは、新自由主義者がありますから言われませんが「育ちが悪い」というのは昔は出さないようにしていました。後々、本人が困るだろうから配慮したのでしょう。
育ちを悪くした方が問題なのですが、人間は生きていればどこでやさぐれるか分からない。
成人になれば、どこである種のデカダンスや自堕落が待っているか分からない。
人間、生きていることが成長なら、育ちが悪くなるというのはいつでも起き得る話です。