生きる術は多い方がいい
何事でも知らないより知っていた方がいいです。
問題はその内容がどれだけ熟れているかで、変化しやすい物ごとでは「私」が変化に付いていくようになり、受け身になってしまいます。
変化は即興性であり、即興の起こし方は教えてくれます。
私が学生の頃、周りは多かれ少なかれ荒れていた漢字がありました。
影響されるというのでしょうか?誰もその波から飛沫を被ることは避けられず、最低でも「どうスルーするか?」をしていたと思います。
いま、考えたら気を緩められなかったのではないか?という気がします。
私も生意気に毛が生えたような事をやっていましたのですが、ある時に女性教官からこう言われました。
「いまはいいけど世の中に出たら、もっと傷つかないといけないからね」
たぶん、私が甘ちゃんだったのでしょう。逃げ癖ゆえに、学校に居ない日がありましたもので・・・当時は分かるはず無かったと思います。
若さゆえの世界の狭さでしょうか?
世間…いや、世界を知るというのは途方もないことです。
学校世界をはるかに拡大したのが世界でした。
大人・・・老若男女に色んなタイプがいますし、いい者から、ロクでもない者、様々です。
世の中の縮小図が学校と言いますから、まさにその通りでした。
会社という組織に縛られたらイヤでもしないとならないことはある。
学校の延長です。
誰が好まれている、嫌われている、病気になった、亡くなったなどは噂の域から、無機質な感じて発表されたりと、そこに感情を込められたり、機械的であったり。
ある意味、一般論で通す会話は毒にも薬にもならない。
どこか、一癖あったり、言動が鈍かったり、皮肉や嫌味が込められていたりすれば、聞く方は警戒するでしょう。
恐らく、この感覚的な・・・組織にあるパワーの関係というのが、女性進出を難しいものにしている遠因ではないか?と私は推測しています。
でも、侍ガールも居ますから一概には言えません。
コミュニケーションが大事と言われます。
しかし、街の若い子ですら互いにスマホを見ながら店にいる始末ですから、現代を生きる者にとって目の前の・・・体感的なコミュニケーションは果たして上手いのかどうかは疑問です。
「間」や間合いといいますか、人間ですから誤解は付き物です。しかし、修正可能な部分はあった方がいい。
どうしても、(自分が)スッキリ決めたいというのは仕事にも出てきますが、それを決めていく時ギクシャクしたり論争になることがあります。
成長期に居た熱血サラリーマンではありませんが、闘士型の人間は今もいると思います。表に出さないだけで。
心理学を持ち出すまでもないですが、支配や権力により管理したいという性向でしょうか?
従順にしておきプラスアルファ(≒才能?)が出世街道を作るとは立場が約束された者はまだあるようです。
政(まつりごと)ですら、失敗したら解散するというやり方がありますから、組織のデトックスになっているのでしょう。
まぁ、市場原理をインフラである政治に持ち込んだことの非難はあるようですが、いまは期限でどれだけ得をするか?になっていますから、デトックスなんてあるはずないでしょう。