Nightapollon’s diary

元のブログが行方不明になり作り直します。時にディープな事を言いますがスルー(見逃)してください。

理論生物学と実践生物学

いまは、バイオ産業が生物学と言えるでしょう。

実学な世の中ですから、あまりよく分からないとか、すぐに結果が現れないという分野には余裕がありません。

 

子供の成長がそうであるように、生物というのは育つのに時間がかかるものです。

牛肉でさ成長剤を与え大きくしているのですし、チキンを育てるのに、多くの穀類を使いますから、どれだけ人間世界が短気か?というのが分かります。

 

理論生物学・・・科学についてもそうですが、観察というのは相手があってやるものです。

相手があるのに、やれ植物ホルモンだの、ブルーライトだのをしていれば、本来の性質が何だったのか?というのを歪ませます。

これを産業生物学や工場野菜と言ってもよろしい。

 

1番いいのは、自然に出かけることです。

人間分化の外では自然というのが、そこで別の時間を費やしているのがかります。

屁理屈を言えば相手あってですから、状況によっては生物もまた自分を変えたりします。

 

しかし、変化というのは一定ではありません。

ホンビノス貝赤潮にやられやすかった年があれば、次の年は堪えた仲間がうまく、子孫を残せたり。

その地が豊かでバッタが温厚だったのが、食料難で攻撃的な体型になり肉食に変化したり。

 

1番よいのは、理論と実践を行き来しながら進めるのがよろしい。

瀬戸内の乗りが芳しくないという話を聞きました。

要は海苔の栄養の窒素が減ったためです。

それまでは、東京湾に劣らず赤潮で有名だった場所でしたが、環境が良くなり窒素が海が綺麗になり窒素が減ったのです。

 

植物には同化作用(身体を作る)てして窒素が必要になりますが、人間生活の行儀が良くなり、やたらと海を汚さなくなり、窒素が取り入れられなくなった。

 

これは、人間世界(人間生活)が周囲の自然界と繋がっている良い例です。

関東なら多摩川、行徳、船橋、木更津、富津などが海苔で有名ですが、いま海苔が不調とは聞きません。

逆に海苔に小石や小さなゴミの方に神経を配っているくらいでしょう。

異物混入は商品価値が無くなりますから。

 

自然というのは、かなりインフラな面があります。

いや、インフラそのものでしょう。

その場所を人間が居ない代わりに他の植物や動物がいることにより、無機質な状態を避けているのですから、この国は自然が豊かだと言えます。

海外の砂漠などに行けば分かりますが、人間がやろうにも緑化の難しい場所がありますし、それは放っておけば緑が何とかしてくれるというものではありません。

もちろん、自国自賛ではありません。

何かが使っていた土地というのは代わりが効く。

続きからできるのですから、1から始める手間がないのです。

 

バイオトマトはリコピン量が豊富だと聞きました。ゲノム編集作物です。

遺伝子をいじり、世のため人のためになる作物を作るところは、人間界での循環を考えていてどうも狭い。

レジ袋が無くなり、マイバッグなしでは買ったものを抱えて帰る日々になりました。

レジ袋有料になると袋代に利権が絡むようになったのでしょう。

 

ウミガメに良くないといますが「溶ければ」いいのです。薄くて丈夫なポリ袋として登場時からチヤホヤされましたが、環境問題でうるさく言うなら3日も経てば消えて無くなるモノを作れば、海にまで届かないでしょう。

便利というのは文明の利器でしょうが、レジ袋ZERO運動で不便になるなら、これは退行現象と言っていいです。