お坊さんの本を読む②(連想編)
しつこくお坊さんの本を読んでいます。
連想編です。
宗教学、キリスト教、イスラム教、もちろん仏教など、様々な科学も取り入れて解説しているので、可能性やイメージが膨らみます。
しかし、仏教も元はバラモン教から派生したと言われますから、当時は新興宗教だったのでしょう。
チベットに入れば、土着の宗教と融合して独自の発展をしたと言われます。
ゆえに、何らかを齧りながら膨らんでいくのだ、と言えなくないです。
あの、オウムでさえあらゆる宗教を取り入れて教義ができていったといいますが、もとはヨガ教室だったそうな。
仏陀は弟子が超能力でツボを出したら、割って叱ったといいますから、超能力でさえ無闇に使うのは・・・いや、使うこと自体善し悪しが難しいのでしょう。
また、安易な超越的知覚でさえ、脇においてひたすら修行させるというのは、「超能力」が副産物に過ぎないことを意味しています。
目的は次々悟って行くことですから、超能力などちょっと使って救世になればいい方だ、くらいなものなのかもしれません。
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般若心経などは自分の供養に良いのかもしれません。
自分を?とあるかもしれませんが、これは向こうの文化が教会へ日曜学校に行くようなものでしょう。
日頃のストレスではありませんが、自他ともに損なっているなら、とりあえず慰めるというか、渾然一体のままでいいから、説明はあとでいいから、供養するくらいの感覚かもしれない。
心身というのは、自覚がなくても・・・あるいは、健全だとか、これで傷付いたと勘違いしてるとか、あるのでしょう。
トラウマやPTSDでさえ積極的に話にいかないと、因果関係が分からないと言いますから、明確化や言語化が難しいのです。
自分の背中が見えないように、過去というのは後ろに行ってしまうものです。
過去の出来事は心身の内奥に蓄積していきますが、言語化や明確化が難しい時は供養が有効なのかもしれません。
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果たして新興宗教が悪いと言えるか?
あの合気道の始祖も、大本教と繋がっていたのですから、一概に良い悪いは言えないでしょう。
ただ、カルトやセクトになれば話は別です。
また、女性信者を囲う教祖の集団が出ますが、あれは「本人がいいから良いだろう」と割り切った意見が出ますが、常識や程度からすれば極端な例でしょう。
あとは、品性の問題になります。
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オウムについては、やはり後から分かったことの方が多いと思います。
最初は宗教は怖いと意見がありましたが、実際は同じ人間ですし世の中(現世)と似通ったとこもあったでしょう。
集団となりますから、組織・・・会社のようにさえなります。
不祥事と余り変わりないことをしていたということを聞いたことがあります。
利益追求の組織が会社ですから、グレーゾーンやダークな面は見せない方が売りになります。
むしろ、都合の悪いとこは見せない。