可能な時代か
新薬特許の世界は凄まじい。
海外を見れば、論文を先に出した、学会発表したを先に言わないとカネにならない。
先へ先への世界だ。
あのマカでさえ・・・先住民がのどかに使っていた秘薬ですら、成分シーケンスされ、特許の対象になる。
後手に回るのはこの国だろうか?
欧米での競争の激しさをあまり聞かない。
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たとえば、学校でしごきがある。
「こんな苦しみに耐えて成果を出しました」と泊をつけたいのだろう。
たぶん、海外では賢く成果を出す方なのだと思うが、文化なのか?
ある手法が良いとされれば、それを死守するかのように皆が行うのが通例である。
発想がない。
「これが世の中の決まりだ!」など、若い頃散々言われた。
だけど、そんな強迫症のようにそれをして、人に強いて楽しいだろうか?など思ってしまうのだ。
私は天邪鬼。
苦しんで死ぬより、楽しんで死ぬ方がいいというのはどうなのか?
ALSにせよ、最後は肛門での意思表示となるなら、これほど寂しいものはないし、同時に人間も自然であり身体は思うようにならないことも意味している。
S医師などは、悪用されるから尊厳死はよした方がいいという。
この国の自立意識が未分化だから、正当に機能しないという理屈からだ。
ひとりひとりが、意見をもてるなら良い。だけど、文化じたいが、皆の意見に集約されてしまうなら、容易に悪用・・・全体的な意見に収まることの恐怖がある。