袖ヶ浦で磯遊び?②
(´・ω・`)「磯遊びまくってます」
対岸は羽田や川崎ですが、これほど豊かなゴロタがあるのは初めて知りました。
近場で楽しめる・・・それこそ横須賀や富津のなどに行かずとも手軽に楽しめるのです。
ただ、駅から3km強ありますけど(´д`)
私の印象では横浜の野島公園や八景島に匹敵するシチュエーションです。
環境がすごく似ています。
岩の下には、スジエビや磯ガニ、イシガニ、ギンポ、イボニシなどが見られ、子どもが喜びそうです。
ただ、隣の牛込ではアカエイやサメが居るとのことで、注意するに越したことはありません。
オニヤドカリ?
野食先生、界隈の方々はこれを食用にするらしいです。まぁ、エビカニの仲間ですから、それらしい味がするのでしょう。
子イシガニ。
テトラの陰に潜んでいました。
腹の足しにもなりませんから帰ってもらいます。
純正イソガニ。
美味しんぼシリーズにはイソガニを唐揚げにする回があるようです。
師匠は味噌汁にした実績があります。
ハサミの付け根袋は柔らかい。
挟まれているわけではありません。
唐揚げにするにはひと踏ん張りしなければ採れません。私は採りませんが。
本命。
イシガニです。
見るからに凶暴な顔つきをしています。
味噌汁はもちろん、浜茹でなどで美味しく頂けます。
ヽ(`Д´)ノ
ちなみに、イソガニやマガニ(ショウジンガニ)は傷みやすくヒスタミンによるアレルギーが出やすいのです。
イシガニならそれが少ないので私はイシガニを選んでいます。
マガニが採れてもリリースする事が常です。
良型のスガイ。
深みを嫌うのか上げ潮になると蠢き出します。
また、水中は赤潮の影響が少なく透明度はそこそこ高いようです。
テトラにクロダイが入ったり、メバルっ子がチラチラ泳いでみせたりと、魚種は多様ですし、紅藻類の種類も増えてきました。
どんどんと水質は改善されているようです。
20年前ではあり得ませんでした。
晴れてきました。
③へ。
袖ヶ浦で磯遊び?
京葉工業地帯といえば、蘇我から始まり富津の新日鉄までを大体言うようですが、そんなところに自然などあるのか?な話です。
木更津では巌根から南に盤洲干潟があり、少し先の君津に新日鉄が構えている感じです。
私の予想では臨港地帯でも大潮になれば、浜が露出するところはあるのではないか?と思っています。
だけど、殆どは護岸に囲まれ降りられないような状況でしょう。
今回は分かっているところで南袖を目指します。
千葉から君津行きに。
京浜東北線のお下がりですから、汚れが目立ってきています。
当時のコンセプトか「コスト半分、寿命半分」てやって来ましたから、まさか内房線に使うなど考えていなかったのではないでしょうか?
窓も黄ばんでいます。
椎津川の干潟。
先の話ではありませんが、沖は工場な土地の河口に見事な干潟が現れるのです。
内房線と併走するのがR16ですが、降りるのあらゆる意味で大変じゃありませんか?
快速も停る袖ヶ浦。
むかしは、蘇我→八幡宿(?)→五井→木更津→君津でしたが、いまは巌根しか通過しません。
袖ヶ浦も駅前が開発され出して、中型モールが整ってきました。
MOP木更津(※)へ向かう小湊バス。
しかし、北側の道や区画は昔のままで道は曲がったり折れたりの田舎道です。
ザリガニが高確率て居そうな水路。
南にR16が走りますから南側の方がまだ抜けやすい。
(※)三井アウトレットパーク木更津。
浮戸川。
今日は午前が大潮(20cm)ですから凄まじい引きです。
工場と民家に挟まれた川。
ここの泥により二枚貝は硫化水素て殻が黒ずんでいそうです。だいたい雰囲気を見れば検討がつきます。
海浜公園に続く道。
カリフォルニア風に植えられたパーム椰子の反対には化学工場や廃材処理場などがあります。
休日になれば、車好きが自らの愛車を停めて写真撮ったり、見せびらかせたり、意見交換しています。
「カリフォルニア風」というのは私が勝手に思っているだけです。
ゴロタがずっと続く。
私も驚きなのですが、大小のゴロタが点在している様は磯遊びが袖ヶ浦でできます。
風向きによっては有機溶媒の香りと共に実施する羽目になりますが。
雨が降り出した。
隣りは木更津牛込で潮干狩りが有名です。
どういう事情が分かり兼ねますが(※)、袖ヶ浦も潮干狩りは禁止にされました。
看板にはアサリ、アオヤギ、牡蠣などはいけません、とありました。
(※)木更津にかけては柵があるのですが、乗り越えて入る輩が居るのではあるまいか?
干潟を目の前に磯遊びする。
これほどの磯が出来てますから、面白いのが居ておかしくない。
いい歳した大人が磯遊びを楽しみます。
②へ。
雑記シリーズ②(事大を読み解く)
相模原事件の新事実系な記事を読みました。
まぁ、感想といえば「どこも似たり寄ったり」な感じがしました。
大昔、援助の仕事をしたことがあります。
支援者もある程度狂わなければやってらんないところがあり、業の深い仕事に思いました。
スケジュールというのは、最大かつ最悪の強固なシステムでして「型」を通して仕事をしなければ、認められない・・・仕事とみなされないのが、常です。
援助柄、女性の酒豪が多かっですけど、どこかで憂さ晴らししないと、神経が持たないというのは仕方ないと思います。
「定型」にしないと仕事と見なされない、というのはどこも似たようなものと思います。
調子の良かった時代みたいに、ある程度の自由や幅の広さが、勤め人に融通ができたと思いますが、いまは評価が単一になっていますし、頑張りどころも単一になっています。
「それをしないと××になる」というのを重箱の隅をつつくみたいに、やっているのが現代ではないか?
これをファッショというのも分からなくありませんが、要はこれをやらないと認められないゆえ、そうせざるを得ない環境があるのです。
だから、イコール権力的になってきます。
「そうするのが効果的だ」なんてくれば、義務やルールに発展していくのです。
私は思うのですが、効率化の極みがアウシュヴィッツみたいな環境に流れていくなら、それを省みる機会がいけないのではないか?と。
たとえ、サービス提供先でも虐待のようなことが見え隠れするようなら、それは小アウシュヴィッツのようなものでしょう。
それを人間、分かっているから口に出さないし出せやしない。
相模原の被告に悪い印象があるのは、まさにスケープゴートの類(たぐい)でしょう。
麻薬(Grass)をやったとか、変な思想に被れたとか、出来が悪いとか、人格が凶変していったとか、本省は発達障害だとか。
とある、イカサマ心理士は「仕事は人間をくるわせるところがある」とイカサマらしからぬ琴を言いましたが、事実だと思います。
その人間の性質が悪いのではなく、悪くなる環境がある、という場合もあるのです。
では、悪い性質にならないというのは何か?
「強さ」でしょう。
生命力というか、ある種の厚かましさ、ヒトを押し退けてもやっていける攻撃力、競争社会でもよじ登っていけるタフネス。
そこで得られるまともさは、屍によって立てられているのではあるまいか?
残念ながら、人間には強弱、健常とハンディ、老若男女などを含めても、どうしようもならないヤツもいるのです。
いまは、弱者からの視点で書いていますが、今野さんの文章など読むと、暴力をするために生まれてきたような存在が居なくはないと感じることがあります。
「この世は娑婆であって極楽(理想郷)ではない」
というのは、美輪○宏の名言ですが、極楽でないからこそ、守ったり攻めたりしないといけないこともある。
時々、産業医などの言う言葉が綺麗すぎるのは、邪悪をやる人間にとって無視も無効にもできる、なかなか効果のない言葉でもあるからです。
ところで、カーストという言葉がありましたが、若い子だけではありません。
老若男女、全てに関係があるのです。
故河合さんなどは、対談で「やっちゃいけない」の味をしめた当時の40代(今の50-60代)はどう勝ち上がれるかを知っている、と言いました。
また、U師匠なども戦中後の人間は人間の妙味を知っていたが、その妙味を分からないのが増えてきたと言いました。
妙味とは(手)加減のことでもあり、そこまでやっちゃマズイだろ!みたいな塩梅を分かっていることです。
階層二極化に加え、下層というにも能力ありながら報われない存在も居ます。
気の毒には思いますが、頭打ちにしてしまっている世の中ですから、どうしようもありません。
今更、また輝けるという期待は再び挫折や裏切りを重ねていきます。
ねじれにねじれていく負の連鎖でしょう。
雑記シリーズ
毎回、毎回、安いカツ丼の絵を挙げていては飽きが来ます。
師匠などは、値引き寿司を動画で喰っていますが、寿司も美味そうです。
自粛に梅雨も加わり(さらに疲労困憊)、自然に出向く機会が減っています。
元より、カネがかかるから行かなければいいのですが、自宅と仕事を往復をする生活をしてるから、若い子たちに「社畜」とか「社畜移送車」など言われるのです。
働き方は様々あっていい、というのを見せなかった大人の責任でもあります。
公の施設にも委託が入り、業務の質を上げるために神経症的な働き方をする姿が見れなくありません。
インフラは元はと言えばベースであって、クオリティを向上させるよりもベースを壊さないことが常にあるはずです。
図書館ですら、以前に海外風俗特集を組んだ雑誌を置いたことで、問題になりましたが、なんというか・・・全体的にある種のスラム化がおきると余裕がなくなり「別にいいんじゃないの?」みたいな流れになってもおかしくありません。
(´・ω・`)「別にいいんじゃないの?」
「リモート」は美味しいの?な話題を書きましたが、A女史などは実際その通りだ!という意見を言っています。それも、通常の勤め人にとっては!の条件付きです。
そもそもの根底には・・・労働法の弾薬が落ちてくる当たらないところには、厄介なヤツは来て欲しくないというのが、無くはない。
私の予想というか、確実な見方ではこれこそが「野生」であって、文化的な蓄積によってそんな暴力的な振る舞いが抑止される。
文化的を理性的に言い換えても良いかもしれない。
リモートと程遠い生活をしていますが、上級国民にもグラデーションがあって、そこそこな・・・中の上級国民や中級国民があってもおかしい。
これからが下級的な知恵の働かせどころですが、坂口さんなどがインタビューした路上の達人たちは、法というのは元から作った側に都合がいい・・・それこそ、作った側と自分は別の世界だから、食いわけの部分で生きていけばいい、という心持ちでいます。
また、有名NEET氏などは、寿命は短いけれど、辛くない生き方ができればいい!くらいの態度があり、余生に向かっている感じがします。
たぶん、生命体に無茶をさせる環境というのは、生命体の内部まで狂わせるのでしょう。
内科的な・・・自律神経やホルモン、免疫というのは理屈では一日のリズムによりその程度の強弱が出ると言われます。
闘争心の激しい環境下でアドレナリンやコルチコイドが常に出ていれば、血糖は下がりにくいに決まっています。
また、穏やかすぎる環境下では免疫の過剰が起き、アレルギーが起きやすいなど言われます。
要は程度の問題でしょう。
生命体というのは、ある意味身近な自然でもあります。
里山に例えると時々、木枝を払ったり、落ち葉をはいたり、原生林に飲み込まれないように手入れが必要です。
原生林というのは、荒々しい遷移を進める原自然に例えています。
貧乏自慢としてのマイノリティ(あるいは雑記)
「強い弱者」という言葉があります。
弱さで上手く世の中を渡っていけるという事です。
弱さのワードといいますか、それも流行りというものがあり、少し前からは「性的」な少数者だったりします。
疾病利得という弱さこそ勝つ!みたいな老子の言葉がしみじみ本当だと思わなくありません。
逃げるが勝ち勝ちも含めて。
いまは価値基準ががた崩れしてますから、見てないところでの無法、権力志向(ボス猿)、新自由主義から超個人主義への移行が進んでいると感じ無くはない。
まずいのは、不都合を蒙った弱者などが「ならば子供のために自由を」などというと、躾は良くないなどといい、わけのわからないことになる。
自他を分けられない不幸というのが、更に墓穴を掘ることもあります。
非常に矛盾していますが、子供の貧困をWHOでしたか?その手の機関が目を付け出したと言うのに、まだお祭りをやろうと言うのです。
しかし、現実は資源確保のため、セコくならざるを得ない。要は資源獲得が競争になるのです。
多忙、疲労困憊、知的思考の貧弱さはたぶん、私だけではないと願いたい。
たとえば、仕事などは大したことはやっていない。
昔の…それこそ職人業のようなことは、それだけでコストがかかるから魅力的ではない。
要領の良さや、万人に通用するような…誰でもできるようなことが仕事になっている。
寿司職人など、都心に行かないと見られやしません。
アスペなどになるのは、疾病利得になるというのは、間違いではないが間違いでもある。
レッテルを貼られることで、宙ぶらりんな訳の分からん奴に腹を立てることが少なくなる。
「アイツはああだから仕方ない」という、その場限りの「とりあえず券」のようなものが発行される。
恐らく、知的な探求というのは余裕がないとできないことでしょう。
電車では大抵ゲームしてるのを見ますが、ラクな方におのれを走らせるというのは、個人がいけないのではなく、状況がキツイからラクな方に行かざるを得ないという見方もできます。
その昔、学校管理化の波が起きて今に至りますけど「管理」というのはイコール権力(ルール)でもあるわけです。
よく分からないルールが昔から、学校や会社ではある。
学業上(業務上)必要だ!と言っても、その不合理さは無くても良いものな場合が多い。
むしろ、個人の足かせになって自由を奪っている。
「ルールは最低限で自由に!」
と、いうのをどこかで聞きましたが、いまは逆でしょう。管理すれば、より良い事があるに違いない、という神話に洗脳されているのではないか?
いや、もっというなら管理(=ルール=権力)というのは「正す」という仕事でもあります。
正すが曲者なのは、必要だから正した!という個的領域の侵害という、非文明的なことさえ起きてしまうのです。
確かに大昔は個人の自由など無かったでしょう。
今まで積み上げたものがなくなり、また個というのが遠のき、全体性が重んじられるようになってきたのは、ヌポンの性質というのもそうですが、他方ではつるまないとやっていけなくなってきた!と見れるかもしれません。
要は退行現象でしょうか?
ファッショが良くないといいますが、実はもう少し利点・・・つるんだ側の利益を研究してもいいと思います。
いや、ファッショという事自体が過去的なものとしたら、克服するのは一体なんだろうか?
ファッショの最大の利点は個を埋没させ、危険を分散させ安全を計るというものがあります。
粗雑な言い方になりますが「強い弱者」になった時の横暴さは見苦しいものがあります。
言動に程度や塩梅を欠き、我が物顔で街を闊歩する様は「いつの間にか勝利を得た顔」になっています。
一体、強い・弱いとはなんなのでしょう?
ブラックアーティストの某氏などは、弱者のアレを蹴り飛ばせ!とまで言います。
レッテルというのは時に強い盾になるのです。
要は使う者次第なのですが、必ずしも善人であるとは限りません。
私のように悪いヤツもいるからです。
ところで、学校や会社というのは強さがないと行けません。弱っていればそれは辛い場になるでしょう。
松下さんの頃と違い「抱擁」な精神は解体されてますから、なんで弱ったのまて見ないといけないのか?というのは当たり前になり、常識になります。
いや、ならないとおかしい。
証拠は(大人の)ハラスメント含む虐待的な関係が子供世界まで知られていることや虐待は良くないといいつつ、自死の数が減らないことです。
ある意味、暗に虐待(≒スケープゴート)を認めているものです。
要領の良い子はそれをいち早く知り、世の中に出て、要領良く生きていきます。
とても、観察力に優れていますし勘がいい。
今野さんの小説など読めば分かるのですが、いたぶる程度や加減が分からないのが一定数いる、というのです。悦んでいたぶっていると。
しかし、逆もあるんじゃないか?という気はします。
今野さんは躾の欠落が今の壮年の良くなさであると、暗にニュアンスを込めます。
だが、可能性は老若男女、誰しも状況によっては残酷になれる。
あと、残酷さや悪さというが実はありふれたものなのだ、ということです。
ホロコーストをやった看守は「仕事」としてやりましたが、理由があれば幾らでも残酷になれるのです。
2つか3つ層を降りれば(普遍的な)暴力か何かが出てくるのです。
まぁ、そこは個人差があるようです。
暴力的な層にダイレクトに降りられたり、躊躇ったりすることもあります。
養老さんなどは、幼少の子で素行に問題あればスグ対策を立てた方がよろしい、とまで言っています。
見立てや見極めが幾つになっても必要なのは言うまでもありませんが。
倹約生活(≠ひま人編)
昨日に続き、ひま人の徒歩でどこまでも…な、歩いて帰るシリーズです。
昼は解答カツ丼。
もちろん、値引きされています。
そうでなければ買いませんし、買えません。
まだ、盛り付けられてスグの頃の卵は、半熟卵状態でしたが、解凍や加熱をされて完全に固まってしまいました。
見た目がヤバいですが仕方ありません。
夜間の自然解凍ならレンジ代も多少はケチれます。
墨田を渡ります。
凄い匂いのする美味い水が流れます。
ウナギやハゼも居るそうですが、ゲオスミン(≒濡れたアスファルト臭)に食欲は勝てるのでしょうか?
東北から流れる放射性物質が川に堆積するだとか、言われますが実際はどうなのか。
なお、川を超えてすぐに和菓子屋さんがありますが、美味そうですが、喰ったことはありません。
森下駅。
通りの由来が書かれていますが、信号待ちでは読み切れません。
リタイア人が古い町を探したり観光したりするなら、幾らでも調べられるでしょう。
イタリア人ではありません。
小川とスカツリ。
誰かこっそりと夜中にハゼ釣りしてるかもしれません。
なぜ、釣り場が無くなるか?といえば、情報過多で皆が好奇心まみれになったから、というのはあるでしょうが、ゴミなどのマナーの悪さやガヤガヤ声があったからではないか?
うしろを確認せずにルアーを投げるのが多くなりました。
いや、確認しないで投げるのが当たり前?
住吉駅。
まぁ、ここまでは問題ないでしょう。隣りが寿司やというだけで。
バス路線。
なかには晴海埠頭まで行くのもあります。
(余裕があればですが)将来は陸地になりますから「海岸線跡地」などいう名称も発生するかもしれない。
「埠頭跡」とか。
路線中距離電車バスは時間が正確ではない、というのがネックですから、南北に走る地下鉄ができれば活性化はするでしょう。
有楽町線だけでは足りません。
横十間川。
師匠はよくハゼ釣りに来ていました。
ママ(女子?)乗りの電動チャリが猛スピードで走るから、釣りにならない、とこぼしていましたけど、確かに中央区から墨田区、江東区にかけて電動チャリは多い・・・いや、ほとんどです。
メンテナンスも買った店に任せておけるのですから、保険もかけれますし、自動車並の扱いです。
亀戸駅前。
オーケーかドンキが安いですが、ドンキはレジが凄く並びます。
京葉道路はポニーランドまでは車線がデカいですが、道はボッコボッコになります。
R14などは平和橋通りからは2車線交互になり、ローカル感が増強されます。
お弁当の聖地。
今日はキッチンダイブをチラ見します。
(´・ω・`)「・・・」
おにぎりコーナーには子犬を模した巨大巨大おにぎりが¥1,200でありました。
バクダンおにぎりは¥600でした。
だけど、糖尿一直線により失明、末端の壊死、動脈硬化、血管内プラークの沈着などの危険がありますから、敬遠します。
ヤバいです、カラダ。
名物¥200弁当はありませんでした。
¥600前後のデカ盛りのり弁、ウナ弁、焼きそばが目に入りました。
職人さんが「サラッ」と買っていく様は、エネルギー消費量の凄まじさを物語っています。
・・・・・・しかし、考えてみたら2回に分けて喰った方が賢いです。
同じメニュー…たとえば、2回「のり弁」喰いたいか?といえば疑問ですが、カロリーオーバー必至なら「分割」すればいいだけの話でしょう。
Hさんは一気に喰えない子供をケラケラ笑いましたが、別に喰わなくてもよいのです。
亀戸駅周辺は美味そうな店が幾つか見られました。
少しだけ賢くなって帰宅します。
歩いて帰るシリーズ(倹約編)
電車賃を浮かしてカネにしてるの居ると思います。
たかが、タバコ銭にもならないでしょうが、十日もやればそこそこな金額になるんじゃないか?
コツは1つか2つ前の駅で降りて、そこから歩く。
遅刻しないように十分注意しながら事故に遭わないようにする。
帰りなどは2つ(できれば3つ先)の駅で乗る。
体力が危うくならない程度にやれば、健康的ですしメタボや糖尿などは遠くに行ってしまうでしょう。
だいたい、気疲れで仕事は疲れるのです。
自分の仕事なら、ペースを乱されませんから疲れは無いに等しい。
ジムやら筋トレ、ランナーなどはストレス発散にはたとえ20%しか効果がなくても、やらないよりやった方が良いでしょう。
身体などは待ってはくれません。
・・・「待つ」とは脂肪燃焼や糖代謝などです。
自身体に付き合って燃やさないとDEBUがやって来るだけです。
さて、私にとっては前置きが格好いいことを、並べてますが、自分のことに振り返ってみると、要はカネがない。
健康効果が以前に、倹約しないとコリャまずいだろ!な感じですから、交通費は使いません。
勝つまでは!
平仮名で書いたり、カタカナで書いたり、横文字を使ったりと、今流行りのアレでしょう。
別に「ちくわぶ銀行」でも良かったんじゃないか?と詮索する気にはなりませんが、これ以上いうと今は風評被害とか営業妨害などと言われてうるさいですから、言いません。
水天神宮付近。
半蔵門線はこの先の交差点を東にズブズブ潜っています。
喰った事ありませんが、交差点の人形焼きが気になります。
¥50~70なら買ってもいいかもしれない。
名前の通りの水天神宮はピカピカです。
恐らく、微小なチリやホコリがあっても許されないのかもしれない。
見事なビルディング。
流石は中央区です。
いまはセキュリティがうるさいですから、都内などのドデカなビルはショッピングできる2Fが入れる限界でしょう。
東西新聞社の頃が懐かしいです。
新宿線浜町付近。
水木しげる作品には「ヌポンではお偉いさんに『先生』というのは良くないことです…云々」とありますが、現実にお会いした「とあるお偉いさん」曰く、「調子の良かった浜町は、それはもう元気がある街だった」そうです。
そりゃそうです。
私はその頃、世の中の調子の良かった波にも乗っていませんでしたが、何となくは元気が何より!というのが許された頃だろうと、想像がつきます。
ワンパクもある意味、贅沢品なのかもしれない。
隅田川。
梅雨や夏特有のドブ臭さが漂います。
毎年、花火で大騒ぎしますが何が流れているか?などは思わないはずです。
隅田川の美味い水と花火を楽しむくらいに思っているのでしょう。
刃牙にもでましたが、温水排水が流れたり、冷めない水があればアマゾン川となるのです。
( •́ฅ•̀ )「ゲオスミン臭い」
森下駅。
まといが下町を思わせますが、地域活性化の一環でしょう。まといも定期的に新品に交換しているはずです。
全体がのってきたところに興ざめなこと言うとか、私の得意技です。
下を新宿線がズブズブ潜っています。
住吉駅。
普段、地下鉄ばかり使っていると地上の違いに驚かされます。
電車なら、景色が見えますが地下鉄なら闇しかありません。
村上春樹などは「やみくろ」が時々、地下鉄作業員を引きずり込む描写をしましたがメタファーです。
実際には何が引きずり込まれたり、飲み込まれたするのでしょう?
東洋一の巨大庭園とは言えませんが、他にも木場公園や葛西臨海公園などがあり、東東京には巨大な公園があります。
サルビアが実に美味そうです。
いや、花弁を引き抜いて蜜を吸うなんてのが昔ありましたが、今やったら子どもでもうるさく言われるでしょう。
粗探しと監視の社会です。
ちなみにツツジはやり過ぎると頭が痛くなりますが、私はしぶとく生きています。死なない程度にやるのが「経験」でしょう。
大島駅。
JRで言うと亀戸あたりです。
江東区は南に広がっていますから、軽くJRだの東西線だの言ってますが、そこそこ南北の距離はあります。
ビルの狭間にキッチンダイブが見え隠れしていますが今日は寄りません。
ただし、BOOK・OFFには寄ります。
「返さない」というのは問題ですが、汚損や読み切れないのを理由に返せないというので、イエローカードな私ですから、逆に精神難易度が図書館なら高く付きます。
しかし、まぁ…今は図書館司書ですら委託なのです。
公共機関に民間が入ってくるのは郵政民営化の例もありますが、巷ではあの有名な「ド○ゴン桜」が始まってからでしょうか?
「いつまでものうのうとしてられるなよ!」
が、決めゼリフで時代は安泰より攻めになりました。
「勝ってこそ手に入れられるものがある」
みたいな、それがベースとなるような結果、インフラが民営化、カネを出さないとそこそこのものすら入らない、世の中の二極化が進んだ感じがしなくはない。
基礎にせよ、インフラは共通項ですから、儲けでやれば色が付く。
とりあえずの共通項ですら、どれだけ妖しい世の中ですから、混乱と混沌がより進みます。
ハッキリ分かるのは自らの痛みや心地良さという感覚的なものです。
ふと目をやると・・・
島栗鼠喫茶。
豆柴、ミニブタ、ネコ、フクロウとか動物カフェにある亜種かもしれません。
2-3匹逃げ出しても元が取れるなら儲けものです。
近親交配は良くないといいますが、アレは遺伝子の疲弊が起きているのではあるまいか?
昔でいえば血が濃くなると言われましたが、真相は机上理論のなかです。
不気味なことを書いてきましたがそろそろ帰ります。